すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

レベルの差を認識しろ!

 コーさん(最近私は我が家の出入り業者の名前の頭文字を使って呼ぶ事にしている。Kさんならコーさん、Mさんならマーさん、Tさんならターさんと言った具合だ。――何か飲み屋のお姉ちゃんの呼び方みたいだな)がまたまたビデオを録ってあるから見に来ないかという。

 

 何でも私はテレビを見ないから世情に疎いと仰る。その点彼は教師だから、常日頃から生徒たち、若い世代に接しているから、その点はよく分かるとの事。で、その若い世代の常識レベルを知る格好の番組があるから、見ておくのが宜しいと宣うのだ。

 

 どんな番組かと思えば「トリ肉って何の肉!?」と言う例のタレントやら学生やらを集めた常識クイズ当て番組である。私も見た事はあるが、お笑いタレントやら芸能人らが集まって騒ぐ番組は例え、クイズ番組であっても余り好きではない。大体この時間帯は地デジは何処もこうやってお笑いタレントが大挙して出演してくっちゃベっているが、どうもこれがねえ。

 

 好きで無いものは見なけりゃ宜しい。大学生であっても一般常識を知らない所謂「お馬鹿」を相手にして笑うなどと言うのは、こちらのレベルも一緒に下がって行くような気がして見る気がしない。だからこの時間帯はニュースを見るか、BS放送当たりを見るか、そうじゃなければ新聞を読んだり、音楽を聴いたりしている。

 

 しかしそんな私をコーさんは

 「くだらないからと言って見ないから世情に疎くなるのだよ。今の若者のオツムの程度、行動スタイルなどを把握しておかなければ、いざという時対処出来ないだろうが」

と言って、そうならないようにと私に見せる為に録画しておいたのだと言う。(単にアホらしくて面白いから録っておいたんじゃないの?)

 

 で、見ると確かに現役の慶応大学生とやらが、ごく当たり前のクイズに正答出来ないでいる。やらせかとも思ったが、どうもそうでもないような風にも見える。今の若者の一般常識はこの程度なのかと、流石の私も呆れた。私は大学も出ていないただのジジイで有るが、彼らくらいの年頃には流石にもっと一般常識は知っていた気がする。

 

 コーさんは

 「な、勉強になっただろ。すかんぴんさんは下らないと言ってこう言う番組を見ないから、いつも自分の尺度で相手を計るんだよ。そんな事では若いモンに対応出来んのだよ、君ぃ」

と偉そうに訓戒を垂れる。

 

フン、いいもーん、オイラ教師じゃないしぃ。大体程度の低い奴を相手にしてどうするんだと言って、いつもオイラを揶揄しているではないか。そりゃあ今の若者のレベルを知っておくのは無駄じゃないかも知らないけど、わざわざそれを知る為に下らない番組を見る暇は無いもーん。はい、ご忠告はありがとさん。

 

 残りの人生も僅かなのに、下らない番組を見るより、もっと増しな事をしていたいよ、アタシャ。リラックスしたいのなら、もっと別な方法があると思うがねえ。

やれやれ

 もう情報をリークして良いのやら分からないが、まあ匿名にして置くから良い事にして貰いましょう。(笑)やっと我が町内の次年度の会長、副会長が決まりました。毎度選考には難儀させられているが、今回も例に漏れず、この時期になってやっと決まった。まさに滑り込みセーフで有る。

 

 正直このまま決まらなければどないひょ?と思ったが、何とか決まって良かった。まだ町内には憂国の士(憂町?)が残っていたらしい。決まったお二方は長く町内に住んでいるベテランできっと上手く仕事をやってくれるで有ろう。来年度は私や私が会長をやった時の副会長も班長をやるから、協力は惜しまないつもりだ。お二人には町内を活性化して欲しいものだ。

 

 さて今日体育館へ走りに行った時、その嘗ての副会長Oさんから、会長、副会長の人選はどうなったと訊かれた。私が漸く何とか決まったよと、お二方の名前を挙げると、安心した顔つきになった。そして

 「もし誰も本当になり手がいないようだったら、俺はすかんぴんさんに電話して、俺が今度は会長をやるから、すかんぴんさんは副会長をやってくれないかと言おうと思っていたんだ」

と心情を吐露した。

 

 嬉しかった。Oさんも副会長をやっただけ有って、会長や副会長のなり手がいない現状を憂いていたのだ。一度会長なり、副会長なりをやった人はまた再登板は嫌なものである。しかし、Oさんは敢えてそれをまたやっても良いという覚悟だった。無論、私も彼に頼まれれば嫌とは言えない。意気に感ずだ。

 

 そうなればまた二年間忙しくなるが、それもやむを得まい。しかしそれも杞憂に終わり、ホッとしている。やれやれ、決まって良かった。いろいろ人選でごたごたしたが、雨降って地固まるである。町内がしっかり結束出来ることを期待している。

ギックリ背中

 朝、椅子から立ち上がると、背中の感じが何だがおかしい。背中を捻られたような様な感覚だったが、やがて激しく痛み出した。特に体を起こすと痛い。場所は左右肩甲骨の間だ。あ、ひょっとしてこれは十数年前にやったギックリ背中か?

 

 あの時は痛いと思って屈んだら、痛くて起き上がるのが容易でなかった。息も出来ないような感覚だった。その時は暫く動く事も出来ずに、何も出来なかった。しかし今回はその時と比べて明らかに症状が軽い。何とか動けるし、少し前屈みになれば余り痛みを感じない。

 

 それよりも2回目と言う事で心に余裕があったのかも知れない。と言うのもこれはギックリ腰と違って、時間が経つにつれて薄紙を剥ぐように痛みが引いてくるからだ。

 

 今回も時間が経つにつれて少しずつ痛みが和らいできた。夕方には散歩が出来るまでになった。今、ブログを書いているこの時は少しまだ痛みがあるが、我慢出来ない痛さではない。

 

 それにしてもこのギックリ背中という奴は不思議だ。特別重い物を持った訳でもなし、さりとて体を捻った訳でもない。突然起きて、痛みを我慢してさえいれば、嵐のように去って行く。

 

 もう二度と体験する事はあるまいと思っていたギックリ背中だったが、まさか今頃起きるとは。まさに「天災(災難)は忘れた頃にやって来る」ですな。

新巻鮭

 子供の頃私の家はチョー貧乏だったのはこのブログでたびたび告白している事であるが(笑)、当然食生活は貧しかった。んで、いつも私はガツガツしていた。んなもんだから、母親が夕飯のおかずに作った物をつまみ食い、いや、盗み食いして良く母を困らせたものである。

 

 さてそんな我が家でも大晦日や正月は世間様なみにご馳走が出る。しかし一家の働き手である父親の好みに合わせた料理になるのは致し方ない。親父殿は刺身が大好物であった為、当然のごとく食卓には刺身が出て来る。しかし子供の私にはこの魚の生臭さがどうにも耐えきれず、刺身が出されると自分一人が食べられず、不公平だとずいぶん恨めしかったものである。

 

 だがそんな時にお袋は特別に焼き魚を用意してくれた。それは親父殿の出身地である中条町(現胎内市)に住む伯母から送ってくれる新巻鮭である。今日のNHKの番組「うまい!」でも取り上げられていたが、村上の新巻鮭は絶品である。当然近くの中条の鮭も不味かろう筈が無い。

 

 私はこの鮭があれば刺身を食べられなくても大満足だった。番組でも紹介されていたように村上の新巻鮭というのは単に塩漬けをして冷凍をして寝かせただけのものではない。塩漬けをした後、一旦塩を落とし、寒風に幾日もさらして仕上げるのである。こうする事によって旨味成分のアミノ酸が数倍に増えるのである。

 

 子供の頃は伯母が送ってくれる新巻鮭が新巻鮭だと思っていたから、伯母が亡くなってから、地元で新巻鮭を年末、正月用に買うようになったが、これがただの塩漬けをしただけの新巻鮭で、あまり美味しいとは感じられなかった。もう子供の頃から伯母の新巻鮭に慣れ親しんでいたので、すっかり鮭好きになっていたので、食べられない事はなかったが、美味いと思う事はなかった。況してやガスで焼いた物など美味しいはずがない。

 

 今考えてみればこの大して美味しくない新巻鮭を友達や親戚に送ったりした事もあったので、悪い事をしたなあと思う。(笑)しかし、私がこのお歳暮用に買う新巻鮭は地元のお店で単に塩漬けだけのものが売られてないと知ったのは後になってからであった。有る時店先で新巻鮭が干されているのを見つけた。そこで尋ねてみるとちゃんと売り物だという。地元ではこの新巻鮭を「山漬け」と称して売っていた。当然普通のものより幾分か値段は張るが、買うなら断然こっちである。そこで、この時以来ずっと親戚や友達にはこの新巻鮭を送っている。

 

 友達や親戚に送るだけでなく、自分も食べたくなったので、自分用に一尾買う。一人暮らしで丸々一尾買うのだから、どんなに私が新巻鮭好きかお分かりになるだろう。山漬けの新巻鮭は焼いて食べたら、やはり単に塩漬けしただけのものとは村上のものに及ばないにしても、比べものにならないほど美味しかった。欲を言えば炭火で焼けばもっと美味しかっただろう。この新巻鮭はホント皮までも香ばしくて美味しい。伊達政宗が六十万石と交換しても良いと言ったエピソードが有るほどだから、その旨さが分かろうというものだ。

 

 流石に近年は丸ごと買う事はなくなったが、一体今は幾らくらいしてる物かとネットで調べてみると、村上産の物は何と一尾一万円近くしている。ひんえ~、そ、そんなにしているの? そうすると伯母は長年に渡って我が家にすごく高価な物を送り続けてくれたんだなと、今更にして有り難く思った。貧しい生活において美味い物がどんなに心を癒やしてくれるか、子供心にはっきりと感じたものである。

 

 今は飽食の時代でいつでも美味しい物が食べられるが、不味い物を食べてこそ美味しい物の価値が分かるのである。絵画や音楽も同じであるが、へたくそな作品が有ってこそ名画や名曲が引き立つのである。そう思うと貧しい食生活も決して悪い物だったとは思わないなあと、勝手な理屈を付けて有り難がっている。貧乏時代と新巻鮭に感謝である。

冬晴れのお散歩

 朝からすこぶるお天気が良い。今朝は放射冷却現象でだいぶ冷え込んだようだ。朝食を済まし、食後の珈琲を飲んだ後で、久しぶりに夢の森公園へ足を伸ばしてみる。

 

 公園へ来てみるとまだ幾分か寒いのに結構人が来て歩いている。やはりお天気が良いと家でじっとしていられないようだ。先頃の雪もほとんど消え、道は歩きやすい。カメラを片手に散策する人もいた。

 

 池は朝の冷え込みでほとんどが凍結していたが、氷の割れた所は鴨さんたちが群れて泳いでいた。その様がとても可愛い。で、思わずパチリ。夢の森公園の建物の方は冬期休館中なので、入れないのが残念だが、その近辺を歩いているだけでも季節の移ろいを感じる事が出来、楽しい。後一月もすればめっきり春らしくなるだろう。春の花の咲くのを楽しみに公園を後にした。

 

f:id:wasakoki7778:20200212215847j:plain

鴨さんたちが楽しそうに泳いでいましたよ。氷の上で遊んでいるのもいました。

 

f:id:wasakoki7778:20200212220037j:plain

スマホで目一杯拡大して撮ったんだけど、余り良く写ってなくてごめんなさい。でもこれなんて言う鳥かなあ?

「教えて貰ってないから出来なくてもしょうがないじゃん」

 最近の若い方たちから表題のような言い訳を良く聞く。

「だって習ってないもん」

とよく言われるというのは現役で教師を務めるウチの出入り業者Kさんからも聞かされる。しかしこれに対する回答は私もKさんも同じで、有る年齢に達していたら、常識で知っていなければならない事を習ってないから知っていなくて当たり前だと居直るのは、己を馬鹿だと世間に晒しているような物だと同じだから恥を知れと言っている。

 

 昔の人は経済的な事情もあって中々上の学校へ行けなかった人も少なくなかったが、社会的な常識や学問も自分の体験を通してそれなりに身につけていた。それが今や手取り足取りして教えてあげなければ駄目だという。しかし、教えても半端な仕事しかしてこれない人が多い。これは何故かと考えてみた。

 

 一つには昔と違って自分が一家の生計を支えているという自覚が無いのかも知れない。昔は中学校を卒業すると直ぐに集団就職して、働いた人は決して少なくなかった。住み込みで働き、その乏しい収入の中から実家に仕送りをした物である。そうして自分の弟や妹たちの手助けに少しでもなればと思っていたのである。

 

 ところが今や一人っ子の家は少なくないし、親もそれなりの収入があるので子供の収入なんぞを当てにしていない。勢い、当の本人は自分で得たお金だから、どう使おうと自分の勝手だという考え方になる。また収入がそれなりに有れば、働き方もそれほど熱心になる道理が無い。本人はちゃんと言われた事をやっているのに、何で文句を言われなけりゃならんのだという気持ちになるので有ろう。

 

 だが、それでは駄目なのだよ。それでは単なる作業ロボットと同じ。いや、ロボットの方がサボるって事が無いし、不平を言わないだけ増しかも知れん。(笑)ここで私は昔、中学校の道徳の教科書に有った話を思い出す。もう50年以上も前の本に載っていた事だから、記憶も甚だ怪しいが、こんな話だったようだ。

 

 立志伝中の人物が社長を務める有る会社に勤めている同期入社のA君とB君。ところが何年かするとA君はどんどん出世して行き、B君は平社員のまま。見かねたB君の父親がその会社の社長に直訴に及んだ。

 「うちの子はA君と同じように同期で入社し、毎日休む事無く出社し、まじめに働き、ちゃんと勤めを果たしている。それなのになんでうちの子は出世出来ないんですか?」

 「確かにあなたのお子さんは仰るように休む事無く、まじめに働いています。しかし仕事というのは自分の仕事さえしてれば良いという物ではありません。自分の仕事をこなす一方で先輩の仕事を覚え、時間が空いたら後輩に自分の仕事を教えるようでは成りません。つまり三人分の働きをして初めて一人前と認められるのです。これに対してあなたのお子さんの働きぶりはあたかも仕事を言いつけられた子供がいやいや働いているように見えるのです。お気の毒ですがこれでは出世の道は開けません。」

とまあ、大体こんな内容では無かったかと記憶している。つまり今の子供はこの出世出来ない若者と同じで、イヤ、それ以下か、与えられた仕事さえ満足に出来ないのだから。それを指導の仕方が悪いと居直るのは如何な物か。

 

 確かに昔の徒弟制度のように新しく入った弟子に禄に技術指導もせず、技は先輩のやっているのを見て盗む物だと嘯き(うそぶき)、碌な給料も払わず、下働きだけにこき使うという悪習は問題有りだと思うが、自分では努力、勉強は一切せず、「教えて貰ってないから出来ない」では世間に通用しないだろう。

 

 最近の子供たちにこうした考えがはびこってきた背景には、両親の育て方、学校がそうした指導を行っていない事に原因があろう。ちゃんとした指導を教師が出来ないのには父兄たちからの文句が怖いというのも透けて見える。あー、嘆かわしい。そんな父兄たちにガツンと言ってやれるKさんみたいな硬派の教師はいないのか? まあ、同僚の教師を苛めたり、嫌がらせをしたりするような教師がいる昨今、こんな事を言うこちらが時代遅れなのか?

 

CDの場合は?

 アマゾンでフルトヴェングラー指揮の序曲集を買った。私はケチだから例によって少しでも安い物をと、外盤を買った。イギリス直輸入盤である。日数は掛かるが、何、構う凝っちゃ無い。こちとら暇人だからいつまでも待ちまっせ。(笑)予定では2月9日から14日の内に届くと言う事であったが、本日届いた。早く着いた方だ。いつだったかジャズのアートペッパーのCDを注文した時など、結局届かなかった事を思えば上出来である。

 

 さて演奏は後でじっくり楽しもうと思ったが、ここでふと思った事がある。それはCDもLPと同じように外盤と国内盤とでは音質が違うので有ろうかと言う事である。LPの場合大概外盤の方が音が良かった。国内盤は得てして音がつぶれているのでは無いかと思えるほど、外盤に比べて伸び伸びとした音が聞けないのである。

 

 LPの場合、マスターテープを借りているか、ラッカーマスターを借りているのか分からないが、録音エンジニアの腕の差がもろに出ているとしか思えない盤が少なくない。さて今迄CDに関してはそれほど期待していなかっただけに、録音の差は今迄気にしていなかった。しかし、考えてみれば録音エンジニアが違う訳だから、当然録音の差は有るはずなのである。これは迂闊だった。もし外盤のCDの音が良ければそんなにCDを毛嫌いする事も無い。(笑)

 

 それはともかく音質を気にするのは我々オーディオマニアだけなのかも知れない。しかし音質が良いと演奏者の意図した事が見えてくる事がある。音質が良ければそれに超した事は無い。まあ、CDの場合、残念ながら外盤と国内盤で同じ内容のCDを持っていないので、比較してみた事が無いので、その差が分からないのが残念だが、誰か国内盤を持っている人がいたら、今度比べて見てみようかとは思う。

 

 それにしてもオーディオマニアというのはここまで拘るのだから、普通の人にとってそんなに悩む事かと思われるでしょうな。ハイ、実はそんなに悩まないのです。私の場合国内盤が安ければ、音質に拘らず値段で国内盤を選択するでしょうから。え。だったらこんな事書くなって? ご尤も。(笑)