すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

コレクション

 亡くなった父の唯一の趣味は将棋で有った。息子の私が言うのも何だが将棋のセンスは良かったと思う。若い頃はプロの将棋指しを目指し、羽織袴まで仕立てたが周囲の反対により断念したそうな。そんな父は当然将棋の雑誌を毎号購読していた。今も発行されているが「近代将棋」という雑誌で有る。父の自慢はそれを創刊号から愛読していてしかも全部在庫が有るというものだった。こうなると一種のコレクションだ。だがコレクションならもうちょっと保管を大事にしていたら良さそうなものだが、単に家に有ると言うだけだ。しかも過去の号を読み返す事など全く無い。しかし過去の号を読み返す事は私がやった。中学三年生の時に将棋に嵌まり、父の将棋雑誌を読み漁ったので有る。

 月日は流れその将棋雑誌が置いてあった前の前の家は私が確か42歳頃に壊したのでそれらの本も廃棄した。父はその頃は将棋雑誌の在庫の事などとうに忘れていたのか、全くその事には触れず終いだった。おそらく自分でも古い本を読み返す事はもうしないと自分でも思っていたのだろうし、大体近代将棋誌が廃刊になっている訳ではないので購読している限り増え続けるので有るから、流石にこれ以上コレクションしてもしょうがないと処分される事を覚悟していたのだろう。

 父の他のコレクションとしては他に古銭が有った。だが先程も述べたように父のコレクションは保管の仕方が極めて悪い。だから物が傷むので有る。昭和天皇在位50年の記念金貨でさえそのまま自分の財布に入れておくものだからケースが壊れてしまうと言う酷さだ。だから凡そコレクターの名に値しない。寧ろコレクションと言うより利殖のつもりで集めていたのかも知れないが、それにしてもお粗末で有った。

 どうも人は何らかの収集趣味があるようだ。それほど集める気が無くても知らず知らずのうちに溜ってしまう場合もある。そして溜ってしまうと愛着が湧いて中々捨てられなくなってしまう。ここですっぱり捨てられるか捨てられないかでコレクターになる要素があるかどうか決まると思う。

 かく言う私も英会話に熱中していた頃ラジオ英会話のテキストや雑誌がどんどん溜ってきた。これは別に収集していた訳ではないのだが、いつかまた読み返す時もあるだろうし、また役に立てる事も有るだろうと思い、捨てられなくなったのだ。しかしこれも父の将棋雑誌同様どんどん増えて行く。流石に置く所が無くなったので今の家に立て直す時絶対必要な本以外思い切って捨てた。まあ蛙の子は蛙。父の事をとやかく言えませんな。現在音楽鑑賞、オーディオという趣味をやっている以上、レコード、CDは果てしなく増えて行く。作家の故五味康介氏の如く思い切って愛聴盤500枚程に絞り整理すれば良いのだが、性分故中々出来ない。

 私が死んだ後はこれらのレコード、CD、蔵書などはどう処分されるのだろう?願わくば同じ趣味を持つ親戚でもいればいいのだが、生憎そんな者はいない。まあ興味の無い人には全くのゴミですね、コレクションという物は。骨董品みたいに価値が有ると分ると有り難がられるんですけどねえ・・・・・。