すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

ふくろう

 ウチの居間から見えるお隣の団地の公園は二十数年前は山だった。つまりまだ私が30代の頃である。だから夜になると外灯は点いてはいるものの山が背後にあるから不気味な雰囲気を醸し出していた。月や星がない時は況んやである。雨がそぼ降る夜、私が遅く帰ってくると電線の上に何か鳥らしき物が留っていて、それが弱い外灯の光にうっすらと照らし出されてシルエットになっている。歩くのを止めてじっと見つめているとやがて
 「ホーホー、ゴロスケボーコー」
と鳴き出す。鳴き声とシルエットからフクロウだと直ぐに分る。で、このフクロウを見つける時はきまってその電線に留っていた。獲物を探しているのかじっとそこに佇んでいる。私は何か珍しい物を見つけた時のように、いつまでもじっとそのフクロウを見ていたものだ。

 やがてその山が団地造成のために崩されるとフクロウは来なくなった。同時にその山の杉の木に巣を作っていたカラスの一団も姿を見せなくなった。カラスは毎朝うるさく鳴いていたので、いなくなって清々したが、フクロウの声が聞かれなくなって寂しい思いをしたものである。何かまた一つ自然が失われたような気がして酷くがっかりした。

 わたしにとってはフクロウの声は寂しさを感じさせると言うより、心を落ち着かせるような響きがあった。そしてある種の郷愁を誘うのである。シルエットと声だけでしか姿を見る事が出来ず、とうとうどんな顔をしていたか分らず終いだったが、それで良かったのかも知れない。

 「森の哲学者」と呼ばれるフクロウの顔をあれこれ想像してみるのもいい。果して私の家の所で鳴いていたフクロウさんは一体どんな種類だったのか?たぶんそのフクロウはもう死んでしまっているだろうが、その子供でもいいから、もう一度戻って来て貰って今度はしっかりとお顔を拝見したいものである。でも野生動物少なくなりましたねえ。