すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

断捨離(すみません、相変わらずの長文です)

 スピーカーの配置換えをしていてどうにも置ききれなくなった物を私の部屋や納戸に移したが、その際、ああ、こんな所に有ったんだとか、これはもう読まない本かも知れないなとか、こんな物やっぱり使わないんだよねとか言う物が結構出てきた。この手の物が私の部屋、納戸、物置小屋とそこら中に有る。

 私が死んだらゴミだよね。(今でもゴミですけど・・・・)その中の最たる物は昨日移動したスピーカーで有ろう。皆大型スピーカーなので部屋のかなりの部分を占めている。オーディオや音楽に興味の無い人にとってはまさしく粗大ゴミだ。音楽が好きな人でもこんな大きな物を置かなければ音楽を聴けないのかと思うに違いない。だから折角集めたレコードやオーディオ装置も私が亡くなれば真っ先に二束三文で処分されるだろう。事実そういった例を何件も見てきている。

 かと言ってあの世からとやかく言うことは出来ないから、生きている内に存分に楽しめと言うことかも知れない。ただ確かに何でも勿体ない、懐かしいと言う理由からだけで、あれもこれも取って置くわけにも行くまい。

 作家の藤沢周平の作品に出てくる主人公の台詞に確か
 「武士というものは何時如何なる時に死んでもいいように身綺麗にしておくものだ。どんな大言壮語、理想を言っていても己自身がだらしなければ、それは嘘としか聞こえまい。また御主君にも恥をかかすことになるであろう。何時死んでもいい覚悟というのは、それなりの用意が出来ている者が言えることだ。」
と言うようなものがあった。大分前に読んだ小説なのでいささか私が脚色しているが、この台詞にはガーンと胸を打たれた。私はこの主人公と違って丸っきり正反対なことをしているからである。死んでから後のことはなーんも考えていない。仮に今私が突然死ねば後に残された者は私のだらしなさに辟易するだろう。

 その小説の主人公のように私は武士ではないが、その生き方は大いに見習うべきだと思う。もうそろそろ死ぬ支度をせねばなるまい。断捨離をして何時お迎えが来ようといいようにしておかねば。とは言え私は俗人。なかなか物に対する執着を捨てきれない。この執着を捨てるというのが、あの世に受け入れられる準備かも知れない。でも一方で執着があるから世の中は面白いんだよなあ、と嘯く(うそぶく)私がいる。どうやらなかなか武士にはなれないようで・・・・・。