すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

ラヂオ少年

 昔は子供が多くいたから趣味も多士済々であった。プラモデルを作る者。飛行機飛ばしや凧揚げに夢中になる者、暇さえ有ればキャッチボールや三角ベースボールをしている野球小僧等々である。今のように学校の部活がスポーツ一辺倒で無いから、運動が苦手な子にも逃げる道があった。

 さてそんな子の中に電気工作の分野が好きな子が必ずいたものである。当時はおしなべて皆貧しかったから、そんなに高価な部品は買えない。まず初級者が作るのは鉱石ラヂオなどであった。(当時の印刷物には大抵ラジオでは無くラヂオと書かれていた)私の兄なども何やら密かに作って、夜寝床で聞いていた。私にもたまに聞かせてくれたものである。その時思ったのは電源が無いのにどうして音が聞こえるのか不思議だった。家には真空管のラジオがあってコンセントから電源を取っていたからである。

 私と同い年で近所に住むI君も電気工作が好きだったから、度々私の家に材料調達に来ていた。ウチは鉄屑屋をやっていたから、商売柄ラジオの壊れたものなどを回収していたからである。で、閑を見つけてはやって来て
 「このバリコン売ってくれない?いくら?」
 「この抵抗もらえないかなあ」
 「今度こんなコイルが出たら教えて」
などと如何にも部品集めが楽しそうに、目をキラキラと輝かせてラジオのガラクタを漁るのだった。私は電気にてんで疎かったから、そんなものには興味はない。別にアルミや銅と言った非鉄金属以外は殆ど大してお金にならない事を知っていたから、親父殿には相談しないで勝手にI君にあげていた。I君には我が家のスクラップは宝の山に見えるらしく、来る度に喜々として探していた。

 もし当時私が電気工作に興味があったらI君から色々教わり、きっと同じようにラジオ工作に夢中になったに違いない。だが当時の私は漫画に夢中で、ひたすら毎日漫画を読んでいた。振り返ればあの頃少しでも電気工作を覚えていたら、今頃はアンプの1台も作れたかも知れない。その後教え子のS君から電子ゲーム機を作って貰ったりした事もあったが、自分では終ぞ手を出さなかった。今でもオーディオアンプや周辺機器を友達に作って貰う事がしばしばあるが、どうやら他人に依存する体質は少しも変わっていないらしい。

 オーディオファンというと自作に熱心な方と音楽を聴く事に集中していらっしゃる方に分かれるようだが、私は自作できないオーディオファンなのだ。今でも時折自作できればもっと楽しいだろうなあと思う事が良くある。ラヂオ少年にもアマチュア演奏家にもなれなかった私はただ聴くしか能の無い人間になってしまった。でもこんな私を不憫と思ってか、はたまた反って知識が無い故につきあいやすいと思うのかは知らないが、音を良くしようと色々手助けしてくれる。してみると他力本願って決して悪い事ではないですなあ。エー、そんな訳で出入り業者の皆様、一つこれからもよろしくお願えしますだ。