すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

甘かった計画(燕岳登山)その3

 さていい景色をずっと眺めていたいがそうも行かぬ。まだまだこれからが難関のコースなのだ。餓鬼岳へ行く道と中房温泉へ帰る道の分岐点、東沢乗越まではまず頑張って降りねばならぬ。

 下りはじめはお花畑が続いて気持ちが良い。ちょうどそこから先ほど見えた剱岳立山に加えて針ノ木岳蓮華岳鹿島槍ヶ岳などの後立山連峰の山々が見えて感動した。今日はホントに運が良い。

手前の大きな山が蓮華岳、その奥の三角形の山が針ノ木岳、その左が剱岳、そして別山立山です。

 しかし花を見たり山を見たりで、おまけにまだ時間的に余裕があるので、下る速度が異常に遅い。Uさんは余り目が良くないのでこう言った急坂では足下に注意しなくてはならないので遅くなるし、Mさんも下りは爪先が痛いのか、やはりがくんとスピードが落ちる。二人とも速度は私の半分くらいなのだが、そうかといって怪我をしても困るのでここは安全第一で進む。

沢沿いの急勾配の道を行く

 途中後から来た軽装の若者に抜かれる。訊けば早朝5時に登山口を出発してここまで来たという。そしてこれから餓鬼岳をやっつけて中房温泉に帰るのだと言う。ひんえ〜、なんちゅう奴ちゃ。まるで田中陽希だ。で、冗談で私が
「凄い早さですね。その分だと私たちが帰る途中抜かれるかも知れませんね」
と言うと
「まさかそんな事は無いでしょう」
と返事をされたがまさかそれが現実になるとはこの時夢にも思わなかった。

 1時間程歩いたので休憩にする。ここで空模様が怪しくなってくる。周囲の山々にガスが掛かり始めた。なるべく早く下山したいものだ。登ってくる人にも会った。二人組で餓鬼岳からの縦走だという。これから大天井岳に向かうと言う。う〜ん、健脚だなあ。負けてられませんよ。さて漸く東沢乗越に着く。まずは一安心だが、これから中房温泉に向かう道は一段と荒れていそうだ。

オシラビソの樹林帯で餓鬼岳からの縦走者二人組に会う。

東沢乗越の分岐点。まっすぐ進めば東沢岳から餓鬼岳方面、右折すれば中房温泉へ帰る道となる。

急勾配の花崗岩質のお花畑の道を行くが、足下が悪いのでおちおち花など見ていられない。

右折して間もなく雨が落ちてきた。直ぐに止むのだが少し気になる。出来ればカッパを着ないうちに登山口に戻りたいものだ。道はぐねぐねと曲がった花崗岩質の急勾配の道だが荒れている。ここまでもそうだったが倒木が道を塞いでいても何も伐られてなかったので、どうやら近年は全く手入れがなされてないようだ。途中息を切らしながら登ってくる二人組の女性登山者に会う。餓鬼岳へ向かうとの事。そしてガイドブックを見てきたのだが、だまされたと言う。徒渉点は何回もあるし、アップダウンは有るし、とんでもなく酷いコースだとの事。これを聞いて私達は少し不安になった。そしてこのコースを採ったのは間違いだったかなと思うようになった。

 二人が言ったようにアップダウンを繰り返し、漸く西大ホラ沢出合いと言う所に着く。岩にペンキでそう書かれている。この時点で時計は午前10時25分を示していた。ここでお昼休憩にする。まあ、ここまで来たからには12時とは言わなくても午後1時までにはいくら何でも着くだろうと、この時はまだ高を括っていた。しかし真の地獄はこれからだったのだ・・・・・。

西大ホラ沢出合い。ここで昼食を摂る。

 徒渉すると道がわかりにくくなった。石にペンキで書かれた丸や、木の枝に下げられたリボンを目印にして先へ進むのだが、この印がなかなか見つからない。たぶんこちらだろうと進むのは危険なので慎重に目印を3人で探す。なので一層進むのが遅くなる。

道は何処だ?河原なので道が非常に分かりづらい。看板、標識と言った類いの物は一切無かった。

堰堤の横を行ったり、時には堰堤そのものを超える事も有った。

 ここでトラブル発生!何とりーダーの私が道を探して右往左往している時に雨に濡れた花崗岩に足を取られて転倒し、したたかに岩に膝をぶつけ怪我をしてしまったのだ。あれほど野良猫様に気をつけてと言われていたのに・・・・・・・。どうやら骨折はしてないようだ。何とか立って歩ける。こんな山の中だ。自力で歩いて下山する他ない。取り敢えず応急手当をして先へ進む。それにしても何というコースだろう。いつまで経っても中々目的地が見えてこない。

何処まで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ。アップダウンを繰り返し、中々着かないので少しUさんは切れかかっている。

 さてさてお二人には熟々悪い事をしたなと思う。二人とも私程の体力は無いから、こんなコースではばてて当然だ。それにしてもガイドブックが酷かった、後で分かった事だが16年前の本に書かれていた事とほとんど記述が同じだった。つまり最近は現地調査をしてなかった事になる。登山者が少ないコースとは言え、あんまりだ。これでは遭難者が出てもおかしくない。例えば梯子が掛かっていると書かれた箇所は既に梯子は無くなっていたし、コースを示す丸印も行きなのか帰りを示しているのか分からない。おそらくは16年前はまだ道標はしっかりしていたのかも知れないが、今は見る影も無い。

 ブナ平と呼ばれる所に着く。ここに有るとされるベンチは何処にも無い。更に運悪く雨が激しくなってきた。泣きっ面に蜂だ。止む無く合羽を着る。Mさんは相当疲れているようで心配だ。まだ目的地まで2k以上有る。山道の2kは平地とは違い、かなり時間が掛かる。しかもまだこの先登りが有った。最後まで気が抜けない。

 漸く最後の徒渉地点まで来た。ここで風のように私たちを抜き去った人がいる。前述の軽装の若者だ。まさか本当に抜かれるとは!恐れ入った体力とスピードだ。
「あと1kちょっとですよね?」
と言ってあっという間にいなくなった。この後も私たちは暫く歩き続けた。

最後の徒渉地点。でもゴールはまだ先だ。

 川沿いの道に別れを告げて再び山道に入る。漸く先が見えてきた。堰堤の所へ出てバス停の看板を見てやっと心が落ち着いた。旅館の裏の登山道を抜けるとひょっこりと旅館の前に出た。漸く戻って来たのだ。長かった〜!ガイドブックには燕山荘からここ迄5時間36分となっていたが、何と9時間半も掛かってしまった。昼食休憩が有ったにしても掛かりすぎた。これも偏に道が荒れていてコースがわかりにくかったせいだろう。ガイドブックに頼りすぎた自分を反省した。事前にもっとネットで調べるべきだったのだ。それを考えると計画に甘さが有ったと言わざるを得ない。かなり時間には余裕を見たつもりだったが危うくセーフと言うところだ。

バス停の看板を見てほっとする。

最後は中房温泉の旅館の前に出る。

 国民宿舎有明荘で汗を流し帰路に就いた。なお私の怪我は5,6針縫う怪我でした。土、日は病院はお休みでしたが、直ぐに救急外来で病院へ行かなかったため、看護婦さんにはこっぴどく怒られました。反省!(反省だけなら猿でも出来るよ、アーン!)