最近は新聞を購読しない世帯が増えたそうな。だから各新聞の売り上げ部数はめっきり減ってしまった。ネットが発達したお陰で、若者は言うに及ばず、そこそこの年齢の世代まで新聞を見なくなった。
一つには新聞の購読料が高くなった為、おおよその記事内容ならネットの情報で十分だと考える人が多くなった為だろう。スマホさえ持ち歩いていれば、何処でも簡単に情報を得られるというのもある。新聞を購読すれば、読み終えた新聞を始末しなければならないが、それも面倒なのかも知れない。昔は八百屋さんや魚屋さんで新聞紙は重宝がられた物だ。今でも冬野菜を包んだり、何かと便利なのだが、どうもそんなことより生活をすっきりさせたい方が優先しているのかも? 学校で新聞を使った授業をしようとして、持ってくるように言っても
「ウチは新聞を取っていません」
等と言う返事が返ってくる始末だ。(笑)
こうなると新聞や雑誌は益々売れなくなるのかも知れないが、私はやはり紙に書かれた活字を読みたい。電子書籍で読む方も最近は多いそうだが、味気ない。本はその装丁から始まって、挿絵を楽しんだり、行きつ戻りつして読んだり、何よりも本という形になっている物を読むからこそ、読む人の滋養になり、心に残る物だと思う。
新聞も同じでネットに載らない小さな事柄など隅から隅まで読む事によって、新しい発見と楽しみがある。各新聞による主張の違いも面白い。何より日本独自の戸別宅配制度により、朝必ず届いていて、さあ今日はどんな記事が載っているかと、開くのが朝のささやかな楽しみの一つでもある。
ある意味新聞を取らない人は合理的なのかも知れないが、ネットは役に立つ情報、間違った情報など玉石混交である。自分で上手く判断出来ればいいが、ともすると迂闊に信じて偉い目に遭う事もあろう。上手く活用したい物だ。
ともあれ紙に書かれた物は記録に残る。アナログは不便なようでいて、いざという時は形になって残っているので、助かるのである。その点デジタルは「桜を見る会」疑惑でお分かりのように、消してしまえば何も残らない。コンピューターの時代で無ければ、あんなに早くデータ廃棄とはならなかったであろう。安倍さんはコンピュータ時代に感謝せねばならない。(笑)