すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

新巻鮭

 子供の頃私の家はチョー貧乏だったのはこのブログでたびたび告白している事であるが(笑)、当然食生活は貧しかった。んで、いつも私はガツガツしていた。んなもんだから、母親が夕飯のおかずに作った物をつまみ食い、いや、盗み食いして良く母を困らせたものである。

 

 さてそんな我が家でも大晦日や正月は世間様なみにご馳走が出る。しかし一家の働き手である父親の好みに合わせた料理になるのは致し方ない。親父殿は刺身が大好物であった為、当然のごとく食卓には刺身が出て来る。しかし子供の私にはこの魚の生臭さがどうにも耐えきれず、刺身が出されると自分一人が食べられず、不公平だとずいぶん恨めしかったものである。

 

 だがそんな時にお袋は特別に焼き魚を用意してくれた。それは親父殿の出身地である中条町(現胎内市)に住む伯母から送ってくれる新巻鮭である。今日のNHKの番組「うまい!」でも取り上げられていたが、村上の新巻鮭は絶品である。当然近くの中条の鮭も不味かろう筈が無い。

 

 私はこの鮭があれば刺身を食べられなくても大満足だった。番組でも紹介されていたように村上の新巻鮭というのは単に塩漬けをして冷凍をして寝かせただけのものではない。塩漬けをした後、一旦塩を落とし、寒風に幾日もさらして仕上げるのである。こうする事によって旨味成分のアミノ酸が数倍に増えるのである。

 

 子供の頃は伯母が送ってくれる新巻鮭が新巻鮭だと思っていたから、伯母が亡くなってから、地元で新巻鮭を年末、正月用に買うようになったが、これがただの塩漬けをしただけの新巻鮭で、あまり美味しいとは感じられなかった。もう子供の頃から伯母の新巻鮭に慣れ親しんでいたので、すっかり鮭好きになっていたので、食べられない事はなかったが、美味いと思う事はなかった。況してやガスで焼いた物など美味しいはずがない。

 

 今考えてみればこの大して美味しくない新巻鮭を友達や親戚に送ったりした事もあったので、悪い事をしたなあと思う。(笑)しかし、私がこのお歳暮用に買う新巻鮭は地元のお店で単に塩漬けだけのものが売られてないと知ったのは後になってからであった。有る時店先で新巻鮭が干されているのを見つけた。そこで尋ねてみるとちゃんと売り物だという。地元ではこの新巻鮭を「山漬け」と称して売っていた。当然普通のものより幾分か値段は張るが、買うなら断然こっちである。そこで、この時以来ずっと親戚や友達にはこの新巻鮭を送っている。

 

 友達や親戚に送るだけでなく、自分も食べたくなったので、自分用に一尾買う。一人暮らしで丸々一尾買うのだから、どんなに私が新巻鮭好きかお分かりになるだろう。山漬けの新巻鮭は焼いて食べたら、やはり単に塩漬けしただけのものとは村上のものに及ばないにしても、比べものにならないほど美味しかった。欲を言えば炭火で焼けばもっと美味しかっただろう。この新巻鮭はホント皮までも香ばしくて美味しい。伊達政宗が六十万石と交換しても良いと言ったエピソードが有るほどだから、その旨さが分かろうというものだ。

 

 流石に近年は丸ごと買う事はなくなったが、一体今は幾らくらいしてる物かとネットで調べてみると、村上産の物は何と一尾一万円近くしている。ひんえ~、そ、そんなにしているの? そうすると伯母は長年に渡って我が家にすごく高価な物を送り続けてくれたんだなと、今更にして有り難く思った。貧しい生活において美味い物がどんなに心を癒やしてくれるか、子供心にはっきりと感じたものである。

 

 今は飽食の時代でいつでも美味しい物が食べられるが、不味い物を食べてこそ美味しい物の価値が分かるのである。絵画や音楽も同じであるが、へたくそな作品が有ってこそ名画や名曲が引き立つのである。そう思うと貧しい食生活も決して悪い物だったとは思わないなあと、勝手な理屈を付けて有り難がっている。貧乏時代と新巻鮭に感謝である。