すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

清少・納言?

 テレビのアリナミンのCMで井ノ原快彦が「清少・納言」とっていたのがどうにも気になった。まあ以前にも某タレントが「納言ちゃん、納言ちゃん」と言っていたCMがあったように記憶している。

 

 いい加減こんな初歩的なミスは止めて欲しいものだが、結構大人の人も分かっていながらこう言っているように思う。そもそも皆さんお分かりのように少納言は官位だから「少」と「納言」の間に区切りやポーズを入れるのがおかしい。小豆にも大納言という種類が有るではないか。

 

 そもそも何でこんな言い方が流布したのかと、つらつら考えてみるに、ひょっとしたらこれは昔から小学校の先生や中学校の先生がこう言っていたのでは無いかと想い至る。そうでなければこんなに大勢の人達が間違って言う訳がない。その点私の高校の時の恩師はちゃんとこの誤った言い方を指摘していたからエライ。(笑)

 

 どうも我々日本人は4文字熟語が有ると、真ん中から区切って言う傾向に有る。だから上記のような間違いをしでかすのだろう。でもこれはちょいと考えれば誰でも気づく筈なんだが・・・。

 

 ところで「清少納言」が本当の名前と想っている人がいるから困る。女性は昔、歴史書に名前を載せられる事は無かった。歴史は男性を中心として作られた物だからだ。だからどんなに有名な本を書いた女性でも「藤原道綱母」だとか、「菅原孝標女(むすめ)」とか書かれて、決して本名?は出て来ない。清少納言も同様で彼女の父親が清原元輔と言われているので、その姓を取って官位と組み合わせて清少納言としているだけだ。今のジェンダーフリーの社会からはとても想像がつかないが、古代は男性中心社会だったのだ。

 

 ちょっと脱線してしまったが、4文字漢字でも半々に区切って読まない例は他にも有る。例えば「五里霧中」これなんか多くの方は「五里・霧中」と読んでいるのではなかろうか。しかし中国文学に造詣の深い作家の駒田信二氏によると、昔、中国の道士に五里の霧を起こす人がいたと書物に書かれているそうな。五里の霧、即ち「五里霧」である。その中にいるのだから、「五里霧・中(ごりむ・ちゅう)」と読まなければならないのだそうだ。でも、これ大概の日本人が「五里・霧中」って呼んでるよね。(笑)

 

 まあ、こんな訳で良く意味も考えず、他人様の口真似だけして言うのだけはよした方が良さそうだ。そうでないと己のバカを世間に知らしめる事になる。でもまあ、そんなに心配しなくても良いか。大臣をやる程の人でも「未曾有」を「みぞゆう」と読んだり、「幅広く募りはしたが、募集はしてない」って人がいるものね。オイラ達庶民は安心して間違えられるなあ。(笑)