すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

オーディオ再生芸術

 この歳になってやっとオーディオとは何たるかが朧気ながら分かってきた気がする。それは今日もヨーさんの所へ行って諏訪根自子のSP盤を電蓄で聴かせて貰って実感した事だ。それも鉄針やダイアモンド針で無く、柚針でかけて貰うと本当にそこで演奏しているような感じが出る。これに対して鉄針の音は固く、ダイアモンド針では音量は上がるし、SN比が上がって雑音は少なく聞こえるのだが、演奏が一本調子になっていけない。その点柚針だと適当に抑揚がついて誠にしなやかに鳴るのだ。

 

 この盤を電気再生したとて周波数レンジが広がるだけで電蓄で柚針を使用した時のような音は得られない。中のアンプはヨーさんが自作した物を使用しているが恐らく1,927年頃の電蓄が新しいオーディオシステムより余程上手く再生するとは、この辺がオーディオの面白いところで有る。

 

 でもこの音の良さが分からない御仁も沢山いる。CDなどの音に慣れている人には到底この音の良さは分かるまい。そもそもオーディオにおける音楽再生とは生演奏とは全然違う物だと私は考えている。生演奏に近づける事がオーディオの本道だと勘違いしている人も少なくないと思うが、もう録音の時点でそれは不可能になっている。沢山のマイクを使い、様々な電気機器を通して、CDなりレコードに音を入れる。もうこれだけで原音とは違う音になっているし、更に録音技術者の腕や個性、好みといった物が出て来る。それを再生しようとする方法にまた千差万別有るのだから元の生演奏と同じ音になる訳が無い。

 

 限りなく無く近づけようとすれば、電気が一切入らない録音、即ち昔のラッパ吹き込みのようにダイレクト録音、ダイレクトカッティングという風にならざるを得ない。だがそれでは今度は別の問題が出て来るからそれで良い訳が無い。だから生演奏は生演奏。オーディオ再生はオーディオ再生と割り切って考えるしか無い。

 

 そうすると如何にその楽器が鳴っている雰囲気、音色などを上手に再現出来るかになってくる。ところが音を記録する方法や録音機器などが変わって行っても然程音が良くなっているとは思われない。否、有る面では明らかに昔の方式の方が音楽らしい音を聴かせてくれるのだ。オーディオ愛好家が昔の音に遡るというのも肯けない話では無い。

 

 うまく音楽を再生出来ればそれは一つの技術で有り、芸術で有る。ところが最近の若いオーディオマニアはこの昔の音を知らないし、知ろうともしないからその音の良さが理解出来ない人が多い。まあ、この辺が残念なところなのだが、正直理解して欲しいと思う方が無理なのかも知れない。今はそれだけいい音を聴く機会が減っているし、彼らの一部はネット音楽などで満足しているようだから。結局音に拘り、その本質を求める者は我々拘りのジジイ世代だけなのかも。

 

 そのためSP盤などを持ち出し、竹針やサボテン針などでしこしこ聴いている。ええ、もはやレトロの世界では無いんですよ。ハッキリ言ってある意味オーディオHIFiの世界なのです。分からない方は俺はオーディオマニアだなどと軽々しく口に出して欲しくないですな。音を音楽に換えてくれる装置や技術、そう言う物がまさしく再生芸術なのでは無いでしょうか。