すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

紙芝居屋さんの思い出

 子供の頃近所に通称「二つ井戸」と呼ばれる井戸があった。その周りはちょっとした広場になっていて、子供達の格好の遊び場だった。年長者をリーダーとして年の違いを問わず男女ともよく遊んだものだ。

 そんな子供達の集まる所には当時は良く紙芝居屋さんが来た。自転車の荷台に紙芝居道具や水飴道具やらが積まれていた。当時はテレビなんて物は無かったから、子供達は皆紙芝居屋さんが来るのを楽しみにしていた。

 確か1本10円の水飴を買って紙芝居を見る権利が得られたと記憶している。水飴に付いている割り箸で一所懸命にこねると、水飴がどんどん白くなって行く。それを自慢し合うのだった。そして子供達は水飴を嘗めながら、食い入るように芝居を見たものだ。紙芝居屋さんの名調子。そして
「さあ、怪人ナゾーに連れ去られた幸子の運命は如何に?ハイ、続きはこの次のお楽しみぃ〜。」
てな感じで子供達の興味を引いいたまま帰って行き、子供達は次の紙芝居を手ぐすね引いて待っているのだった。

 しかし残念ながら私はこの紙芝居をじっくりと見た事が無かった。それは1本10円の水飴が買えなかったからである。当時の私の小遣いはたったの1日5円。小遣いを貯めなければ紙芝居は見る事が出来なかった。紙芝居屋さんの周りは水飴を買った子供達が取り囲んでおり、後ろからはよく見えない。しかし高い位置に上がって見ようものなら、
「あー、すかんぴんちゃん、只見してる−」
と直ぐにご注進に及ぶ「大草原の小さな家」のネリーみたいな意地悪っ子がいたものである。でも私はその場の雰囲気が好きで、例え意地悪されようともその場を動く気にはなれなかった。

 私は実はそんなに紙芝居に飢えていなかった。それは家が廃品回収業の仕事をしていたからである。だからたやすく漫画本が手に入り、私はそれを読んでさえいればいつもハッピーだったからである。だから紙芝居屋さんがどんな話をしたかはほとんど覚えていない。むしろ学校にあった紙芝居の方が記憶にある位だ。

 だが鐘をカランカランと鳴らしながらやって来て、子供達を集め一瞬にして虜にする芸は今もって懐かしい思い出だ。そして紙芝居屋さんはいつしか姿を見せなくなった。少しずつ広まりつつあったテレビのため、お客の子供達を奪われたのかもしれない。風の噂によると病気になって死んだという事も聞いた。なぜこの歳になってあの頃の思い出が無性に恋しくなるのかわからないが、それはきっと娯楽の少なかった時代故かもしれない。目を閉じれば皆キラキラした眼で紙芝居を見つめていた光景が浮かんでくる。あの頃の時代にいる事が出来たのが、実は幸せだったのかもしれない。