すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

潔く

 大関豪栄道が引退を表明した。初場所途中で負け越し、ひょっとするととその時感じた。この力士は怪我をしていても決してそれを負けの言い訳にせず、取り続けてきただけに尚更そう思った。実況のアナウンサーもそれを口にしたが、解説者の北の富士さんはまさかそれは無いでしょうと否定した。今場所優勝の徳勝龍と同じ33歳だからであろう。

 

 だが怪我にもめげず、これだけ大関を長く勤めた男はその地位のプライドもあった。大関という地位を汚したくないの思いも強かっただろうし、関脇に落ちて返り咲く事は怪我の状況から考えて最早無理と判断しての決断だったろう。その潔さは見事である。琴奨菊の様に下に落ちても相撲を取れる限りは頑張るというのも一つの判断だが、やり尽くしたから悔いは無いと考えて、引退するのも引き際が良い。見事な決断である。

 

 これに反してあれだけ言い逃れの出来ない状況になっても尚恋々として総理の椅子にしがみついていたい人もいる。今日の国会答弁を聞いていて呆れた。答弁にならない答弁を繰り返すだけである。極めつけは共産党の宮本議員の

「文書は見たことなかったけど募集をしていると、いつからご存知だったんですか」

と言う質問に対して

「私はですね、幅広く募っているという認識でございました。募集しているという認識ではなかったものです」

と言う回答。

この方は募るも募集も同じ意味とご存じないらしい。(笑)

麻生財務大臣の「未曾有」を「みぞゆう」と読んだ事よりもっと漢字の知識が無い。こんな方が日本の総理をやっている。恥ずかしい限りである。

 

 まあ、おそらく答弁に窮してそんな回答になったのだろうけど、それはともかくとして、こんな言い訳に終始しなければならないならば、潔く総理の座から降りるべきであろう。引き際が悪すぎる。今ならまだ総理の座と引き替えに追及の手から逃れられるであろうし、野党の方もそのくらいの取引は考えているだろう。

 

 念願の憲法改正は自分の代で出来なくなるが、それも身から出た錆。後の総理に期待するしか無い。まあ豪栄道と同じく長く総理を務めたのだから、引き際だけは潔くして貰いたい物だ。もし何とかして野党の追及をかわし、東京オリンピックが終わるまでと考えているなら、それはいくら何でも厚かましい。安倍さん、あなたがいなくてもオリンピックはしっかり開催出来ますから、ご安心ください。

 

 今、身を引けば、まだ国会審議を円滑に進める為、潔く身を引いたと言われるが、このまま続ければ見苦しいと非難されるばかりだ。一国の首相を長く務め、最早功成り名を遂げたでしょう。相撲で言えば横綱。進退だけは潔く。

新聞を取らない家

 最近は新聞を購読しない世帯が増えたそうな。だから各新聞の売り上げ部数はめっきり減ってしまった。ネットが発達したお陰で、若者は言うに及ばず、そこそこの年齢の世代まで新聞を見なくなった。

 

 一つには新聞の購読料が高くなった為、おおよその記事内容ならネットの情報で十分だと考える人が多くなった為だろう。スマホさえ持ち歩いていれば、何処でも簡単に情報を得られるというのもある。新聞を購読すれば、読み終えた新聞を始末しなければならないが、それも面倒なのかも知れない。昔は八百屋さんや魚屋さんで新聞紙は重宝がられた物だ。今でも冬野菜を包んだり、何かと便利なのだが、どうもそんなことより生活をすっきりさせたい方が優先しているのかも? 学校で新聞を使った授業をしようとして、持ってくるように言っても

「ウチは新聞を取っていません」

等と言う返事が返ってくる始末だ。(笑)

 

 こうなると新聞や雑誌は益々売れなくなるのかも知れないが、私はやはり紙に書かれた活字を読みたい。電子書籍で読む方も最近は多いそうだが、味気ない。本はその装丁から始まって、挿絵を楽しんだり、行きつ戻りつして読んだり、何よりも本という形になっている物を読むからこそ、読む人の滋養になり、心に残る物だと思う。

 

 新聞も同じでネットに載らない小さな事柄など隅から隅まで読む事によって、新しい発見と楽しみがある。各新聞による主張の違いも面白い。何より日本独自の戸別宅配制度により、朝必ず届いていて、さあ今日はどんな記事が載っているかと、開くのが朝のささやかな楽しみの一つでもある。

 

 ある意味新聞を取らない人は合理的なのかも知れないが、ネットは役に立つ情報、間違った情報など玉石混交である。自分で上手く判断出来ればいいが、ともすると迂闊に信じて偉い目に遭う事もあろう。上手く活用したい物だ。

 

 ともあれ紙に書かれた物は記録に残る。アナログは不便なようでいて、いざという時は形になって残っているので、助かるのである。その点デジタルは「桜を見る会」疑惑でお分かりのように、消してしまえば何も残らない。コンピューターの時代で無ければ、あんなに早くデータ廃棄とはならなかったであろう。安倍さんはコンピュータ時代に感謝せねばならない。(笑)

話が合わない訳だ

 Mさんにこの間電話で歯科医のI先生の下の名前を聞かれたが、どうも思い出せなかったので、I先生と親しいし、歯の治療に通っているKさんに訊いた方がいいと言っておいた。どうも自らが所属する日本会議にI先生が入会するので、名簿に載せたいのだと言う。ああ、君はそんな悪の組織?にI先生を入会させたのだね。それにしても良くI先生が入会したもんだと言ったら

「あなたのよく知っている歯科医仲間のS先生からの推薦があったんだよ」

と言う。

「ああ、まああの先生もオーディオやジャズは好きだからなあ。然も有りなん」

とその時はそう思っていた。

 

 所が本日Mさんがパソコンを持って来て、例のコンバット・フライト・シミュレーターをそのパソコンにも入れて欲しいという。で、入れてあげた訳だが、ついでにI先生と連絡ついたかいと尋ねると

「やっとI先生の名前が分かったよ。けど俺は勘違いをしていて、アンタやKさんの言うI先生と俺の言うI先生とは違う人間だったんだ」

との事。

 「あ、アンタもう一人の別の場所で平仮名名前で開業しているI歯科の先生と勘違いしていたのか? 道理でおかしいと思ったんだ。俺たちがオーディオでお付き合いしているI先生が日本会議に入る訳ないもんな。安心した。(笑)」

 

 それにしても名字が同じで同じ歯科医をしておられると言う事で混同してしまったようだ。私も以前からこれはややこしいと思っていたのだが、とんだ所で話がかみ合わなくなった物だと苦笑した。

やっぱりアマゾンかあ

GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)などがネットの市場を席巻していて、どうしてもこれらの企業の使用頻度が高くなってしまう。今日も今日とてネットでフルトヴェングラーのレコードやCDを探していた。すると私のお気に入りの曲が入っている「序曲集」が見つかった。しかも音質の良いSACDである。(尤も私はSACDプレイヤーを持ってないから、SACDであってもしょうがないんだけどね)これは買わねばと思い、紹介してあるお店を見に行った所、片方は3,509円、もう片方はセール価格で2,889円である。しかし送料がいくらかかるか? そうすると3,000円を突破するのは間違いない。レコードで無いのにCDごときで3,000円も出すのはまっぴらで有る。

 

 そこでアマゾンのサイトへ行って調べたら、中古品なら1,274円(送料350円)から有る。色々検討した結果、新品の物を1,712円(送料350円)で買った。アマゾンポイントを120点持っていたので、それを利用すると価格は2,000円を切った。

 

 う~ん、これじゃあやっぱりアマゾンだよねって事になる。たかがCD1枚買うのにこんなに値段に開きが有っちゃあしょうがない。これら大企業にまた儲けさせるのも癪に障るが、よその企業の儲けより自分の懐を減らさない方が先決問題である。(笑)でもホント、結局これらの企業を利用せざるを得ないと言うのは市場の独占化が進んでいるんだろうな。そのうち何でもネットで買わざるを得なくなるかも?でも人の顔を見ないで買うの何とも味気ない。そう思う私ってやっぱり古い人間なんでしょうか。

仕事ロス

 テレビを見ていたらNHKの「所さん!大変ですよ」で仕事を引退された方の仕事ロスを取り上げていた。それを見ると仕事一筋に働いてきたサラリーマン諸氏はリタイアした後で、やる事が無く仕事ロスに陥るらしい。そこで先頃プロレスラーを引退した獣神サンダーライガーが出てきて、そうならない為に引退する前から趣味を持てとアドヴァイスする。実際自分はそうやって来たから、仕事ロスは無いと言う。

 

 これを見て私は仕事ロスになる方は大体まずサラリーマンに多いと思った。自営業の場合は倒産する場合などを除き、大抵止め時を自分で判断して引退するから、余り仕事ロスにはならないのでは無いかと思う。寧ろやり通した充実感の方が強いのでは無いか。事実私の場合も人の2倍は仕事をしたし、時間に追われるような仕事を40年間やったので、引退して仕事を辞められるのがこの上なく嬉しかった。

 

 そしてどんなに忙しくても現役時代もちゃんと趣味を持っていたから、仕事ロスになろう筈が無い。いや、寧ろ忙しい時代の方が余計趣味に熱くなっていたし、学生時代に覚えた囲碁・将棋、オーディオ、中年になって始めたパソコン、ランニング、山登り、そして引退してからは蕎麦打ち、山菜・キノコ採りと反って趣味は増えた。まあ、あまり増えすぎるのも困りものだが、退屈しないのは確かで有る。

 

 やる事が無いから再就職して仕事をするというのも決して悪くは無いが、動き回れなくなってから後悔するよりも、今のうちにやりたい事を見つけて、それに熱くなるのも楽しいでは無いか。いや、仕事が好きな人は仕事をしている時が一番充実感を得られると思ってやっているのかも知れない。でもまた趣味の世界もそれまでとは違った世界を体験出来、新しい充足感を得られるかも知れませんよ。

 

 ともかく私の場合は仕事ロスなんて全然関係無い代物です。あ、ひょっとして私は元々仕事が好きで無かったのかも?だから早く遊んで暮らせる事を夢見て、一所懸命働いたのかも。そうかあ、ノメシコキだったから良かったんだな。(それを我田引水の理屈と言うのだよ)

 

 だから時間に追われどうしで仕事をしていたので、今更仕事をしたいなんてずぇったいに思いません。それどころか何か面白い事は無いかと、探してる方が楽しい。もし趣味を止めたら、それこそ趣味ロスになってしまうでしょう。(笑)

お休み?

 いいお天気になりそうなので、思い切って「夢の森公園」まで歩いて行く事にした。まだ朝が早いから、暖冬とは言え結構寒い。手袋もして歩き始めた。通りを歩いていると、私と同じように散歩している人達があちこちに見受けられた。やはり雪が無いとみんな外に出たがるんですね。

 

  夢の森公園までは片道4kは有るだろうか。公園内にあるエコハウスに着いたら、ストーブで暖まりながら、地元の新聞でも読んでゆっくりしてから帰ろうと考えていた。漸く到着したが、何かおかしい。窓にブラインドが下ろされている。あれ、今日は休みか?

 

 玄関へ回ってみると、やはり開いてない。ドアの所には毎週火曜日が定休日と貼り出されていて、別に今日臨時休業とは書かれてない。しかし玄関内に有る置き看板には休業と有った。アチャー、やっぱり休みか。道理で人気(ひとけ)を感じない訳だ。

 

 折角はるばる家から歩いてきたのに、すっかり当てが外れてしまった。あったかいストーブに当たりたかったよ~。手袋をしててもおててがちべたい。くそ~、どぎゃんしてくれよう。と、思ってもどうしようもない。止む無くそのまままた帰る事に。

 

 しゃくに障るので、どうせ帰るならおキノコ様でも探しながら帰るべえと、夢の森公園のお山を散策しながら帰る。しかしその分歩く距離は増えるし、山坂が有るので結構な運動量になってしまった。

 

 帰宅した時には万歩計の歩数が1万1千歩を超えていた。つ、疲れたべー。体育館で5k走るより疲れた。エコハウスが休館だったから、余計に疲れた。こんな事ならネットで調べてから行けば良かった。(それを後の祭りと言うのだよ)キノコの収穫も無かったし、まさに「骨折り損のくたびれ儲け」じゃ。え、散々歩いていい運動になっただろうって? んにゃ。年寄りには「健康の為には過激な運動は極力控えましょう」じゃ。

オーディオマニアは管球アンプを使う?

 昨日町内の臨時総会を終えた後で、偶々(たまたま)町内の若手二人と音楽の話になった。そのうちの一人Yさんは余りジャズやクラシック、昔の音楽に詳しくないようで、色々と説明していると、もう一人のWさんが 

「すかんぴんさんちのオーディオ装置はすごいんだよ。レコード枚数もすごいけど、とにかく音が素晴らしい」

とヨイショしてくれた。最近の若い人はオーディオ装置なんか持たなくなってきているから、うちの装置に興味があったらしい。そこで

「まだ夕飯までちょっと時間が有るから聴きに来る?」

と誘った。すると是非行ってみたいとの事。Wさんも久しぶりに聴いてみたいというので、一同我が家へ。

 

 流石にこんな大型のスピーカーにお目に掛かるのはYさんは初めてらしく、

「これ、良くコンサート会場かなんかに置いてある奴じゃないですか?」

と尋ねられた。

「ハイ、その通りです。こんなのを家庭に入れるのだから、だいぶ病気度合いがひどい重症患者です。でも茨城県方面はさらに重病患者がウヨウヨいます」

と出来るだけ自分の症状軽減に努める。(笑)

 

 すると更にYさんはあちこちを見て回り、(あんまりよく見ないでよ。ろくに掃除してないんだから)管球アンプを発見。

「やっぱりオーディオの好きな方ってみんな真空管アンプを使うんですね」

と仰る。

「あー、まあ別に管球アンプでなくたっていいんだけど。現に俺はプリはトランジスターだし、低域用のパワーアンプトランジスターだもん。要は音が良けりゃあ、どっちだっていいんだよ、うん。」

 

 どうもオーディオマニアという奴は管球アンプを使うもんだという図式がオーディオをやらない方には出来上がっているようで。やっぱり何かねえ。あの真空管に灯りがともっているのを見ると、いかにもマニアックに感じてしまうんだろうね。それと管球アンプは高級品というイメージが付いているのかも知れない。

 

 昔使っていたラックスの管球アンプなんて今から考えるとさほど音は良くなかったがねえ。管球アンプ神話と言うのはオーディオをやらない人にはいつまでも伝わって行くものなのですな。ともあれ、お二人には十分音楽を楽しんで帰って戴きました。