すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

幼児の英会話教室

先日留守中に子供英会話ルームのチラシが配られていた。晩にチラシを置いていった女性が訪れてこの英会話教室の説明をしようとしたが、生憎私は独り者。子供はいない旨伝えたら近所の家の子供さんの事を聞かれた。他人様の事は余り関心が無いし、また言う必要もないので当たり障りの無い返事をしておいた。
 だがここで私が思ったことは幼児に英語を教えるために親が教室まで連れて行くか?と言う事である。幼稚園や何かでついでに教えるのとは訳が違う。第一日本語がまともに喋れない幼児に英語を教える必要があるのか?これが小学生だとて同じである。いつからだったか忘れたが小学校でも英語の時間があるそうだが、私に言わせれば全く無駄な時間である。まず母国語であろう。日本語もまともに喋れない、喋らない、言葉も知らない今時の子供達なのである。子供の頃から外国語に慣れ親しませるという考えなのだろうが、それは四六時中英語を聞く、話す環境にあればいいのだが残念ながらそうではない。週の僅かな時間やったからといってそれで日常英会話が出来るとは到底思えない。せいぜいちょっとした挨拶程度であろう。そんなのは中学校へ入ってからでも間に合う。問題は教え方とその内容なのである。一体文科省は学生に英語を教える際にどちらに重きを置いているのだろうか?つまり教養としての英語、試験に合格するための英語なのか、日常話すための英語か、と言う事である。前者ならば幼児や小学生に英語を教える必要なし。後者ならばいわゆる試験英語は英語の授業に持ち込まないことだ。会話を中心とした授業を行えばよい。それ以上のことをやりたかったら大学でやれば良い。中途半端なことをやっているからおかしくなるのだ。試験英語中心の授業にしておいて6年も10年も英語をやっていて何故話せないか?といってもそれは無理なのである。英語が話せるようにさせたいのなら授業内容をそのようにまずしなければいけないのである。だから幼稚園や小学校でいささか英会話を習ったからといって中学校でも継続しなければ何の意味も持たない。
 結局この手の子供英会話教室はただの金儲けなのである。子供が覚えようと覚えまいと教室側には何の責任も無い。試験も無いのだからなおさらである。もし通わせる親がいたらよほど勘違いをしているか、虚栄心の強い人であろう。わざわざ送り迎えをして時間を潰し、お金を払って満足しているのである。親バカも極まれりだ。それにしても金儲けをしようとする連中は次から次へといろんなことをよく思いつくものだ。