すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

あったー

 探していた茶こぼしをやっと見つけた。食品庫の一番下の所にあったのだがゴミ袋や何かが被さっていてよく分らなかったのだ。
 「探したぞ、お主。ふふふ、こんな所に隠れていようとは・・・。だがもう逃れられぬ。観念せい。」
(まーた独り芝居をやっている。閑人!)
そういやあ、ここに置いたような気がするな。ま、見つかってしまえばあっけないが、大分色んな所を探した。見つけたからと言ってそんなに使う訳では無いのだが、見つからないとやっぱり癪に障る。まあとにかく見つかって良かった。

 骨董品という程のものではないが亡き父が道具屋さんにどれほど頼まれても売らなかった物だから、一応家宝?としている。鑑定団風に鑑定すれば、まあ4,5万円て所だろう。地元の大久保銅器で裏返して底を見ると銘が刻印されているのだが、どうも上の字が分らない。下は多分「斎」の字を簡単にしたものだろう。上の字は「流」の様にも見えるがどうもハッキリしない。「斎」の字を使っている以上琢斎、得斎の流れを汲む者かも知れない。大久保鋳物は原家、歌代家、小熊の三家に伝えられたが、私はどうもこの作品は歌代家によって作られたような気がしてならない。(あくまで私の感ですが)

 それはそうとこの茶こぼしはデザインと言い、色具合と言い中々見事だ。胴には絵など何も描かれていないが、持ち手は木耳(キクラゲ)を模し、蓋は切り株をイメージして作られているようだ。蓋のつまみも木耳だ。
父の生存時、近所の鋳物屋さんの職人さんからこの茶こぼしのデザインをコピーさせてくれと頼まれた事があった。ウチのお客さんだったので父は快くコピーさせてあげたようだが、その後街の工芸店でこの茶こぼしのコピーが出回る事になる。まあ、いくら真似たってこの色具合は出ないけどね。

 と言う訳で亡くなった父の形見のような気がしてこの茶こぼしは手放せません。思えばこの茶こぼしがあったからこそ、その後の大久保銅器の収集が始まったような気がする。芸術的価値は何も無いが、職人技術が生かされた一品だと思う。

長年使用してきたので少し汚れちゃあいますが
中々の色具合でござんすよ。