すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

兄との別れ(長いです)

 長年闘病していた兄が今日亡くなった。車椅子生活になってから18年だった。晩年はほとんど寝たきりで過ごし、最近はあれだけ太っていた兄がガリガリにやせ衰えて、見ている方が切なくなるくらいであった。

 初夏に兄を見舞いに訪れたのが最後となった。私を見て心持ちにっこりしたように感じたのは私の欲目か。脳梗塞を何度も患い、しかも糖尿病も患っていたので、正直ここまで生きられるとは思っていなかった。兄は結局母の死に歳まで生きた。ここまで頑張れたのは兄自身の体力も有ったかも知れないが、医学の進歩もあろう。

 ただ植物人間のようになっても生かさなくてはならないというのも、ある意味残酷である。本人は尊厳死を望んでいたかも知れぬ。日に日に弱って行く己を見ながら、やがてそれも分からぬまま死を迎えるというのは、果たして本人にとって幸せかとつい考えさせられてしまった。

 糖尿病による合併症を起こして、手足を切断するかと言う所まで行ってたらしいが、余命もある訳では無し、せめて五体満足な体で死を迎えさせてやりたいと言う家族の希望で、それは免れたらしい。

 兄は私より8つ年上で、終戦の年の昭和20年の1月生まれだ。戦中派ギリギリと言う所か。8歳上だけに私は兄とは喧嘩にならなかった。しかし何かに付け、よく利用されたものである。兄は本来なら家を継ぐべき立場だったが、早々に家を出たので、3人兄弟の末っ子の私が跡を取ることとなった。

 兄は父の死後、折に触れてその事を私に対して申し訳なく思っていたようだが、こちらは何とも思っていなかったので、その事は引きずらずに来世へ飛び立って行って貰いたいと思う。

 ただ葬儀は行われず、単に斎場で荼毘に付して、そのままお別れとするらしい。親戚、近親者が少なく、家族葬にするのはやむを得ないかも知れないが、せめてお経の一つも読んでやれないか。闘病が長くなり、介護費用や医療費が掛かり、ある意味家族に疎まれていたような所がある。それだけに兄が不憫だ。どうせ面倒を見るなら、ちゃんとした葬儀にし、最後まで面倒を見ることは出来なかったものか。

 しかし残された家族の意向がそうであれば、我々は口を挟む訳には行かない。今はただ兄の冥福を祈るのみである。思えば私は兄との一緒の時間は少なかったにせよ、かなり兄の影響を受けたと思う。政治信条、音楽、男としての生き様。もう一緒にそれらについて語ることは出来なくなってしまった。安らかにお眠り下さい。いずれ私もそちらへ行かなければならないのだから。そうなったら向こうでまた酒を酌み交わし、生前語り足りなかった話しをしようや。