私の亡くなった父は比喩が面白かった。「大黒様を砂糖転がしにしたように喜んでいる」だとか「暗闇から牛を引っ張り出したように態度の煮え切らない人」だとか「ファーッションモデルの出来損ないのような格好をして」だとか、よくも次から次へと表現豊かに例えたものだと思う。
そんな父は怪しげな名前を付けるのも得意だった。ある日仕事をしていると他人様の庭先で綺麗に咲いている花が有ったので、私が「あれ、何の花かな?」と訊くと
「ああ、あれか、金スダレだな」
といとも簡単に答える。ああ、なるほど言い得て妙の花だ。確かにそんな感じのする花だ。オヤジ殿は花も案外知っているんだな。と、この時は思った。
後年たまたま花に詳しい人と一緒に歩いている時、「ああ、金スダレが咲いている。綺麗だね。」って言ったら
「え、金スダレ?どの花?」
「だからほら、あの簾みたいに黄色い花が枝を張って咲いているでしょ。あれ」
「やだ、あれはレンギョウよ。何言ってんの?」
と言われた。
「え、まさか。俺は金スダレって教わったけど」
「誰から?え、お父さん。アハハ、アンタのお父さんて名前付けるの上手だね。そう言えば確かにレンギョウと言うより金スダレって言う方がピッタリ来る。」
と思わぬ所で感心されてしまった。オヤジ殿、死ぬ前に間違いはちゃんと訂正して行ってくれ。お陰で飛んだ恥をかいたぜ。
だがオヤジ殿は昔文学青年であっただけに、言葉をよく知っていたし表現力豊かであった。今の人のように「ヤバイ」だの「凄くネ?」だの人の受け売り言葉でしかも汚い言い方にはこりごりだ。熟々オヤジ殿の表現力豊かな会話が懐かしい。