すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

兄を見舞う

 入院した兄を見舞いに行った。兄は私より8歳年上で、もう寝たきりになって随分になる。何度目かの脳梗塞を患って、車椅子生活になったのが18年前だ。

 今迄良く頑張ったと思うが、流石にこの間見舞った時から随分様子が変わったので心配していた。病院に面会に行った時は目を覚ましていたので、声を掛けたが、反応があまりなかったので、不安になった。しかし私が自分の名前を告げると、些かニコッとしたような反応を示したので、嬉しかった。

 兄の肩や脚を触ると骨と皮だけで、栄養不足が明らかだった。褥瘡が体のあちこちに出来、包帯を巻いているところもあった。痩せてきて寝たきりとあれば、床ずれが出来るのは当たり前で、これを治すには一にも二にも栄養状態を良くする事であることは、母の介護経験から分かっている。

 自分の手で食べられなくなった時に、食べさせる人が根気よく食べさせなければ、十分なカロリーは得られない。大抵食事時間が長くなってしまうので、介護する人は途中で打ち切ってしまうか、重湯などに切り替えてしまう。これが栄養不足に繋がってしまうのだ。かと言って介護士さんを責める事は出来ない。介護士さん達も少ない人数と限られた時間で対応せざるを得ないのだ。

 やはり親身になって世話を出来るのは家族なのだが、近頃は介護施設で面倒を見て貰うのが当たり前のようになってしまった感が有る。だが家族に世話をして貰うのが当人にとっては一番嬉しいのだ。介護施設を上手く活用しながら、家で介護する事は出来ないものか?

 しかし兄の場合は時既に遅しで有ろう。いつお迎えが来てもおかしくない状況が続いている。兄もお袋と似たような状況となってしかも同年齢で逝こうとしている。何もそこまで似なくともと思うのだが・・・。やせ衰えた兄の顔を見ていると、自然に涙腺が緩んでくる。あれだけ体格の良かった兄がここまでになるとは。今は生き続ける事さえ大変なほどに見える。まだ体力は残っているのだろうか? 拷問とさえ思える生かされる状況は果たして本人にとって幸せなのだろうか?

 自分が同じ様な状況になった時、果たして耐えられるか?尊厳死というものについて深く考えさせられた。とは言え兄の死は一日でも遅い方が良いと願った事は言うまでもない。