地元の中学校の卒業式に行ってきました。昨年は町内会長に成り立てだったので、小学校の卒業式には出席しましたが、中学校は会長職の引き継ぎ前だったので出席出来ませんでした。
卒業生は3クラスで100人ちょっとほど。我々の時代の半分程度の数です。少子化を感じます。式の中身は大幅に変わった感じはなかったが、それでも随所に違ったところが有りました。
まず卒業証書。我々の時は卒業証書を紙筒に入れたもので有ったが、今は立派な装丁のアルバムみたいなものになっている。送辞や答辞も随分時間が長く、生徒数の少ない利点が現れていたように思う。歌も君が代斉唱を入れれば4曲有った。むろん今様の新しい歌ばかりでる。蛍の光や仰げば尊しなんて歌わない。
私がちょっと可笑しく感じたのは来賓の方々の祝辞と生徒さんの送辞や答辞の述べ方である。来賓の方々は予め書いてきた文を読む訳だが、それは構わない。ただ下を向いてその祝辞が書かれた紙に視線をじっと移して、生徒さんたちに顔を向けないので有る。これではその卒業を祝うという思いが伝わらないのではないか?内容もありきたりのように益々感じられてしまう。
その点送辞を述べた2年生の女の子は良かった。あんなに長い送辞なのに、顔はずっと正面を見据え、時折送辞が書かれた紙に目を落とすだけ。内容も立派だった。これじゃどっちが大人かわかりゃしない。
それにしても中学校を卒業して早50年近くが経つが、この場にいると昨日のことのように思い出がフラッシュバックしてくる。誠に光陰矢の如しを実感した。若い人たちはいい。春秋に富んでいる。ある意味羨ましい。だからこそ、これからの人生悔いなく生きて欲しいものだ。