すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

秋の夜語り(長いです。覚悟して読んで下せえ。)

 昔は日が短くなると子供達はそうそう遅くまで外で遊んでいられなかった。当然夜が長く、今みたいにテレビもテレビゲームもなーんもないから、必然的に夜は退屈する。そこで母親に昔話をせがむ。

 私の父の母親は昔話が得意であった。昼間の農作業で疲れているであろうに子供達に嫌な顔も見せずに話を聞かせてくれたらしい。父は7人兄弟であった。(うち一人は戦死。一人は病死)なかでもその戦死した父の直ぐ上の兄と父は母親に毎晩のように昔を語ってくれろと困らせたそうである。

 父の母親はアラビアンナイトに出てくるシエラザードみたいに毎夜違う話を語ってみせたそうな。得意な話は化け物話。だがこのシエラザードかーちゃんも忙しい時もあるし、流石にネタが尽きてきたのか、
「たまにはダッツァ(父ちゃんの意)に語ってもらわっしぇ。」
と言って父親に下駄を預ける。父親は夜は晩酌をやって早く横になりたいものだから、子供なんか相手にするのは嫌だ。さりとて毎夜毎夜ガッカ(かーちゃんの意)に相手させるのも気が引けたのか、一応相手をする。

「むが〜し、むがしあったてんがの。ある男が夜寝でいると、天井から白〜い帯のような布が垂れ下がってきたてあんだ。」
「うん、そんで?」
「んで例しに引っ張っでみると、ずーと続かってくるてあんだ。」
「んで?」
「更に手繰ってみるどもずーと続かってくるてあんだ。」
「んで、だからどうなるんべ?」
「だーすけ、手繰っても手繰っても続かってくるてあんだ。」
「続かって来るのは分かったすけ、その先どうなるんべ?」
「いや、だーすけさっきから話してるべ。手繰っても手繰っても続かって来るんだと。」
「・・・・・・・・・・。」

 こうやって這々の体で父親は子供達を追い払うのであった。だがこうして私の父もかなりの数の昔話を覚えたそうな。で、私がまだほんの小さい頃、父の母親がしてくれたと同じ様に私に語ってくれた。本当は沢山聞いたのだろうが、今ではほとんど記憶に残っていない。覚えているのは「古家の漏り」「牛方と山姥」くらいだ。この時はまだそれほど民話に興味がなかったのかも知れない。だが後年古本の中から故水沢謙一氏の「越後の民話」を見つけてから俄然興味を持つようになった。

 ある時冬仕事の合間に「越後の民話」の中に有った話を私が幾つかすると、
「そうそう、こんな話が有ったけかな。」
と言って懐かしそうに話してくれた。父はその時3つ程思い出してくれた。前述の「天井からの布」もその時の話で有る。無論この話は父の男親の勝手な創作であろうが、私は聞いていて面白かった。後2つは「梨採り兄弟」と「狐にバカされる男」であった。もう私が子供の時からかなり経っていたので、父が良く思い出したものだとこの時は感心した。

 父が突然思い出したように語ってくれたのは偶然記憶が蘇ったのかどうか分からないが、今では懐かしい思い出となっている。民話はやはり直に口から伝えられる物で、活字やアニメから覚えるものではない。話し手による脚色やアドリブ、独特の語り口などが有って初めて民話と言えるので有る。父から教わった民話の幾つかは私が家庭教師をしていた時に、子供達に話してやったことがあるが、果たして今でも覚えていてくれるだろうか?

 ともあれ夜が長いこの季節になると狭く汚い長屋の一部屋で裸電球の下貪るようにして昔話を聞いていた光景が走馬燈のように蘇るのである。それは仄かな暖かみを伴っている。