すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

猫の思い出(また長いです)

 ウチでは私がほんのまだ小さかった頃、猫を飼っていたことが有る。「カク」と言う名前の猫で(田中角栄元首相の名前から名付けたのかどうかはわからないが)たいそう利口な猫だったらしい。

 お袋の話だと私が赤ん坊の時は自分が買い物に出かける時などは、その猫にお守りをさせていたらしい。(自分は連れて行かないで、猫に番をさせるのはどうかと思うのだが…・)ネズミも良く獲ったが、中でも凄いのは飛んでるツバメを捕まえてきたことだ。狩の名人(名猫と言うべきか)だったみたい。

 え、それは利口な猫とは言わないだろうって? うん、そうなんだけど確かその利口さを物語るエピソードが有ったんだけど、忘れてしまった。すいません。ああ、そう言えば犬と喧嘩して勝ったという武勇伝があったみたいです。弱きを助け、強きをくじくみたいな猫だったんですな。

 私は物心ついてからカクとは良く遊んだ記憶がある。色んな芸をさせたりしたものだ。カクは結構長生きだったのだが、皮膚病になり、私に移すと悪いからと言うので、親父殿が何処かへ捨ててきたらしい。(アラマ、可哀想に)だから私はカクがいついなくなったのか記憶に無い。

 以来我が家は兄が鶏や小鳥、鳩などを飼った一時期を除き、動物とは縁が無かった。しかし私が高校生の時、親父殿は仕事場兼倉庫に迷い込んだ子猫を見つけ、自分の弁当の残りを与えたりして育てていた。私がどうしたのかと尋ねると、あんまりミャーミャーと泣いていたんで可哀想だから、牛乳をやったり弁当の残りをやったりしたら、居着いたとのこと。

 親父殿は猫の成長を調べるべく、毎日のように風呂敷に包んで棒秤で猫の体重を量ったものだ。親父殿はこれを見るとカクと言い、迷い猫と言い、結構猫好きだったらしい。

 迷い猫は大きく成長し、親父殿が仕事場へ来ると必ずミャーと元気な姿を見せた。しかし有る冬の日、親父殿が帰っても、猫君は姿を見せない。親父殿はおかしいなと思い、仕事場のあちこちを探したが見えない。そうして炬燵の布団をめくったら、猫君は哀れ一酸化炭素中毒でご昇天あそばれていた。親父殿は毎日出かける前に猫が寒くないように、豆炭炬燵に豆炭を補給して行くのだが、この日はあまり黒いのを入れすぎたために一酸化炭素が多く出たようだ。

 猫も炬燵に潜り込まないでで炬燵の上にでもいれば良かったものを、あったかくて気持ちがいいから、炬燵に潜り込んで寝入ったのが不覚だった。親父殿が悲しんだのは言うまでも無い。遺体は親父殿の手によって懇ろに弔われた。合掌。