すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

兄の思い出

 昨年亡くなった兄は何にでも興味を示し、悪い事以外は何でもやった人だった。学生時代は良く生き物を飼い、伝書鳩、カナリヤ、ヤマガラ、鶏など、色々飼ったが、どういう訳か犬は飼わなかった。家に猫がいたせいかもしれぬ。兎に角まめで鳩小屋、鶏小屋などは自分で作った。しかしどれもがある期間経つと止めてしまうのだ。案外やってみて自分に合ってないと気付くと飽きてしまうのかも知れない。

 

 簡単なラジオの製作などもやり、私に聞かせて自慢していた。サボテン栽培もやったっけ。勤めてからは音楽に熱中し、バンジョーを買って一所懸命練習して会社仲間とバンドを作った。私が今音楽好きなのは多分にこの兄の影響が有る。まだサラリーマンが余り車に乗ってない時代に早くも車を持ったりもした。まあ、これだけ色んなことをやったら家に仕送りする金なんて有る訳がない。当時は働き出したら家に金を入れるのは当たり前だった時代だから、親父殿は随分愚痴をこぼした物だ。

 

 どうも兄が反面教師となったか、私はそれとは正反対に(真逆なんて言葉は絶対使わないぞ!)なーんにもせず、閑さえ有れば漫画を読んでいるような子供だった。だから性格も兄のそれとは全然違って、兄は積極的に何でも取り組むのに対して、私は面倒くさがり屋だったのだ。兄は19歳の時からは家を出て生活していたので、実生活がどうだったかは本当は良く分からないのだが、労組に入って労働運動などもやり、大分親父殿を困らせた事が有る。でも正義感はかなり強かったようだ。なにしろ名前が「正強」だから、文字通り正しく強く生きたのだろう。

 

 30代後半で起業し、会社を急成長させたが、志半ばで病に倒れ、思いは遂げられなかったかも知れないが、兄なりに充実した人生だったろう。私とは8歳も年が離れていたので、とても喧嘩相手にはならず、子供時代は散々兄のカモにされたものだった。自分が覚えた柔道の練習相手に私を連れ出したり、私に小遣いを使わせて菓子を買ってこさせ、あらかた自分で食べてしまうなど、悪知恵も発達していたし、食い意地も張っていた。

 

 こんなに色々と兄には利用されたが、何故か兄が憎らしかった事は一度もない。それは何も出来ない自分と違って、兄が何でも出来るから、ある意味尊敬と羨望の対象だったかも知れないからだ。願わくば兄とはもっと話をしたかったが、今では叶わなくなってしまった。亡くなって半年経つが、こうやって度々兄の事が思い出されるのは、私に少なからぬ影響を与えたからに違いない。

 

 私も遠からずこの世とおさらばするだろうから、向こうへ行ったら今度はじっくりと兄と話がしたいと思っている。