夕方姉が来てふいに紙袋から一冊の本を取り出し、
「この間、棚のビデオを整理していたらこの本を見つけたの。そうしたら兄ちゃんが私に送ってくれていた本だと言うことを思い出してさ。そしてその時同封されていた手紙を読んで涙が出たわ。あの頃は仕事が忙しかったから碌に読まなかったけど、今度はちゃんと読まなくちゃ」
と懐かしそうに話した。
本の題名は「越後・柏崎・風土記」で著者は北川省一、1981年の発行で有る。この当時この本は話題で柏崎市の書店にはあちこち置いてあった。そんな訳で私も商売柄この本を持っていた。兄はそれを知らずに読んで余程共感と郷愁を覚えたのだろう。私には送る直前に電話を掛けてきて送るからと言ったが、私は既に持っているからと言って断った経緯がある。
兄が姉にこの本を送ったのは手紙の日付が1999年と有るから、我々の父親が亡くなった年だ。オヤジ殿はその年の6月に逝っていて、その事も手紙には書かれていたので、その後にこの本は送られたことになる。
手紙なんて兄が19歳で長岡市に転勤になって以来貰ったことも無かったのに、余程書きたかったのか、或いはそれほどまでに子供時代のことが懐かしくなったのか、それは分からないが、とにかく考えられないことだった。だが我々には書かないだけで、学生時代には海外のペンパルもいたようで案外筆まめだったのかも知れぬ。
それはともかく姉も言っていたが、この翌年兄は病に倒れ、以後18年もの闘病生活を強いられることになるから、何か胸騒ぎや病の予感を感じて手紙を姉に送ると共にこの本を送ってきたので有ろうか。
本の中身は昭和10年代頃の柏崎市の有る貧乏長屋の住人達の生き様を描いた物だが、それが子供の頃の自分たちの生活に酷似して兄は懐かしさに耐えきれなくなったのでは無かろうか。私も読んだことが有るので大いに共感を覚えた物だ。
兄が亡くなってから3年が経つが、こうして手紙を読んでみると今でも兄が生きていて、電話を掛ければその向こうで兄の声が聞こえてくるのではないかと錯覚を覚える。案外故人の写真なんぞよりこうした手紙や肉声を記録したテープなどの方が余程故人を身近に生々しく感じるのではないか。
晩年はほとんど満足に会話出来ず、果たして我々がお見舞いに行った時も我々を認識し得たかどうか分からないが、そんなことはどうでも良い。残された手紙が確実に兄が生きたことの記録になっている。手紙を読んで久し振りに兄の肉声に触れた気がする。姉者よ、有り難う。
懐かしい昔の柏崎がこの本には描かれている。