すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

民話

 亡きオヤジ殿のお袋は昔話を一杯知っている人だった。毎晩のようにオヤジと直ぐその上の兄に話して聞かせたらしい。その兄は戦死したので、お袋の話を知っているのはオヤジ殿だけになってしまった。他の姉弟はお袋に余り話を聞かなかったらしい。

 

 昔話は私は大層好きで、子供の頃はラジオから流れる「越後の民話」に聞き入っていた。確かオープニングに流れる曲はドップラーの「ハンガリー田園協奏曲」だったと思う。尤もその頃はそんなクラシックの曲とはつゆ知らず、えらく番組の雰囲気に合った曲だなと思っていた。

 

 「とんと昔があったとさ」とか「あったてんがな」で始まる独特の方言混じりの話は子供心を甚く揺すった物で有る。しかし悲しいかな。そのラジオは電波の入りが悪く、時々ガー、スー、ピーと雑音を出し、何を言ってるのか分からなくなった。漸く聞こえたと思ったら、もう終わりの頃で結局話の筋がほとんど分からなかった事が何度も有った。(笑)

 

 で、面白くないからオヤジ殿に話をせがむのであった。とは言え、オヤジ殿は仕事で疲れているし、滅多に話を聞かせてくれる事は無かった。それでも小さい時は結構聴かせて貰った覚えがある。「牛方と山姥」「古屋の漏り」などは今でも鮮明に記憶に残っている。そして私が成人してからも幾つか思い出して語って貰った話があるが、それは以前このブログで書いた事が有る。

 

 しかしオヤジ殿やそのお袋は何でそんなに沢山話を知っていたかというと、語る人が村から村を回って来るのだという。当時は娯楽が少なかったし、ラジオがある家なんて滅多に無いから、色んな所の情報を教えてくれたり、昔話をしてして楽しませてくれる人に宿を提供したり、幾ばくかのお金を払って聴かせて貰っていたのである。

 

 語り部とも言おうか。彼は各地を放浪し、色んな話を仕入れてきてはそれをまた村の人々に提供して糊口を凌いでいたのだろう。まあ、今ではとても考えられない話だが。でもお陰で昔話は確実に伝承され、水沢謙一氏などの手によって活字となった。私は氏の本の大ファンで、オヤジ殿から聞かされた話を思い出しながら、暇に任せて読んでいる。

 

 以前も書いたが民話という奴はやはり方言混じりで無いと味が無い。「日本昔話」みたいにほぼ標準語で語られたのでは、子供にはわかりやすいだろうが味も素っ気も無い。尤もこの番組は全国放送だったから無理も無いが。そしてアニメで表現されない所がいいのだ。映像で話を見せたら艶消しだ。聞く子供らが勝手に山姥とはこんなかなと想像するからいいのである。だから昔話はあくまで話して聞かせるものなのである。

 

 昔話を聞いていて面白いのはその方言や擬態語、擬声語などが実に豊富に使われている事だ。「向こうの方に灯りがチャカンチャカンと照ってるのが見えるてあんだ」「そうしてその姉さがヤガヤガと奥の方から何か持ってきたと」とか実に多彩だ。そして時には残酷であったり、話が矛盾したりするが、なに、想像の世界だからそれで良いので有る。

 

 オヤジ殿から聞いたり本を読んだりしたお陰で私も結構昔話が出来る。嘗て家庭教師をしていた時など授業が終わってから良く話をしてあげた物で有る。今でも彼らの頭の片隅にでも残っていたら嬉しい。

 

 雪深い越後の里なればこそ昔話が近年まで残っていたのであろう。今でもたまに公共の施設で話される催しがあるのは有難いが、残念ながら話し手がイマイチ稚拙なのが残念だ。案外親から直接話を聞いていないのかも知れない。(笑)

 

 ともあれ、まだ私の聞いた事の無い話が有ったら是非聞いてみたいものだと思っている。はい、「これでイッキガぽーんとさけた」。

 

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