すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

音楽を聴くと言うこと

 オートグラフを購入すると言うことで嘗てオートグラフオリジナル箱を持って鳴らしていた作家の故五味康祐氏を思い出し、氏がオーディオ誌に連載されていた「オーディオ巡礼」を改めて読み返し、今更ながら氏の音楽に掛ける情熱を思い知った。

 それによると裕福な子供時代から終戦後の赤貧洗うが如しの時代に有っても氏は音楽とオーディオに熱い情熱を捧げてきた。その氏が言うには
 「出来るだけレコードを沢山聴き、聴き込み、そうしてこれは聴く必要が無いと思ったレコードは処分する」と言うものだ。そうして氏は600枚のレコードを手元に残した。仮に一晩に2枚聴いても全部聴くには1年近く掛かる勘定だ。我が身を振り返って見れば真に残したいと思うレコードは何枚有ろうか?何千枚の中の百枚も有ろうか?またそれだけ聴き込んでも、何度でも聴きたくなるレコード有ろうか?それを600枚も残すというのはどれだけの枚数を聴いたか想像に難くない。その情熱たるや大いに見習うべきところが有る。

 オーディオ装置についても同じだ。古今東西のあらゆる銘器を聴いた氏の到達したスピーカーはタンノイのオートグラフだった。しかしこれは嘗て私が嫌いなスピーカーだったのだ。そのバックロードホーンと言う箱の特徴から、どうしても音の立ち上がりが悪く、また低域ももやつき、とてもじゃないがジャズは聴けたものじゃなかった。それがどうして買う気になったのか?
答えは簡単で有る。音ではなく音楽を聴きたくなったからである。多分オートグラフで聴く音楽はクラシックやヴォーカルが中心になろうが、その音楽の聴かせ方はオートグラフが一番だと思ったからである。そのスケールの大きな音は他のスピーカーの追随を許さない。オーケストラ再生はこれで無くては駄目だ。オートグラフは欠点をあげつらえば幾らでも出てくる。しかし音の纏め方が上手い。要するに音では無く音楽を聴かせてくれるのだ。これが置き場所も無いのに衝動的に買いたくなった理由の一つである。

 嘗て私も今のような豪華なオーディオ装置が無かった頃は安物のモジュラーステレオやラジカセから流れるFM音楽を聴いていたもので有る。それでも年少時代の雑音だらけのラジオから流れて来る音楽を聴いているより数段の喜びとまた感動が有った。レコードから流れる美しい音楽に驚喜したので有る。今思えばあの頃が一番音楽を貪欲に聴こうとしていたのではないか?音楽を聴くと言うことは立派なオーディオ装置が無ければ出来ないことでは無い。いや寧ろそんなのは却って邪魔なのかも知れない。レコードが高いからめったやたらと買えないから、好きな曲を繰り返し何度でも聴いた。レコードを慈しんでいた。金に余裕が出来てバンバンレコードが買えるようになったら、そんなに愛おしむように聴いただろうか?オーディオ装置が良くなる度に音楽を聴くことを忘れて、音だけに拘りすぎていやしないか?

 今回のオートグラフ購入はそんな音楽を聴くという原点に立ち戻ろうとするために購入しようとしたものなのだ。音の立ち上がりがどうのこうの、周波数特性がどうのこうのとうるさいことを言わず、オートグラフならゆったりと音楽に浸れると思ったからなのだ。嘗てN君が貸してくれたオンボロの僅か20cm口径のフィールド型フルレンジスピーカーから流れるリパッティショパン「ワルツ集」に不覚にも涙したことが有った。あの感動をまた味わいたい。今「オーディオ巡礼」を読みながらオートグラフの到着を待ちわびている私である。まあ、来たら来たでセッティングに苦労するんですけどねえ・・・・・(笑)。