すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

いい音の定義

 この間ミーさんが○桐さんの所へお邪魔してオーディオ装置の音を聴かせて貰ったらしい。中々いい音で、あれだったらもうちょっとその辺では聴けないくらい良いとの事。さもありなん。○桐さんもここの所随分一所懸命にやっておられるし、耳も肥えてきた。良くなるのは当然だろう。

 

 しかし、ここですかんぴんは思うのですよ。一体良い音の定義とは何だろうって?音は目に見えないし、今聴いた音は一瞬で過去の物となって行く。写真のように映像としてそのままそこに存在しないから厄介だ。

 

 生演奏に出来るだけ近い物か? いや、生演奏と行ってもジャズのライヴなどではそれなりにPAも使われているから、果たして生で聴いているのかどうかは判断が難しい。クラシックのコンサートで有っても聴く位置で随分と変わった物になっているはずだ。だから生演奏その物の定義も怪しくなってくる。強いて言えば少ない楽器数でPAを一切使わず、ある程度近くで聴いた場合にしか生演奏と呼べないのではないかという気がしてくる。

 

 こう考えると生演奏の音に出来るだけ近づけると言うのは必ずしも悪い事ではないが、それに拘りすぎる事は無いと考える。寧ろ生演奏の雰囲気を出してくれさえすればいいのではないか? それも良い音の定義の一つだと思う。

 

 無論理論的に言えば周波数レンジが広く、音に歪みが無い事、ダイナミックレンジが広い事が上げられるだろうが、どうも音楽を聴くという観点に置いてはそればかりでは駄目のように思う。幾らそれらの値が良くても肝心の音楽が聞こえてこないようでは困る。まあ、音楽を上手く再生すると言うのも極めて曖昧な表現なのだが、現実としてそう感じる事があるのでしょうがない。

 

 音が良いと言う定義の裏付けとして、様々な要素を上げ、それらをある程度数値化出来るので有ればいいのだが、音の捉え方は人様々であるから中々難しい。まあ、百人も聴く人を集め、採点用紙を配り、それらの要素それぞれに点数を付けて貰って、総合点で判断するしかないが、現実にそんな事をするのは不可能だ。

 

 ただ聴いた多くの人が「良い音だ」と判断すれば案外正しいのかも知れない。まあ、オーディオは個人の趣味だから、自分さえ気に入っていればいいのだが、独善に陥っている危険性もある。(笑)だから仲間と交流する事もある程度必要になってくる訳だ。

 

 だがこの「交流する」というのも中々曲者だ。毒を浴びせられる危険性がある。(笑)で、大体お金お使う方向に行くのよね。こうなると女房殿に隠し事が多くなる。(笑)まあ、でも本人が満足すればそれでもいいんだけど、大体はそれで収まらない。いい音になったはずなのに、またもっといい音を求める羽目になる事が多い。

 

 これじゃ「幸福の青い鳥」を探すが如く、良い音は決して手の届かぬ所に有るのではないかとさえ疑ってしまう。こうして考えると下手に装置を良くしたが故に見果てぬ夢を追いかけてしまいかねない。音楽を純粋に楽しむんだったら、装置なんてどうでもいいんだけどなあ。

 

 だけど現実は私みたいなオーディオ馬鹿も少なからず存在しているし、またその馬鹿に屯(たむろ)する輩もいる。皆「良い音」を求めたいが故に集まってくるのだ。弱ったねえ。(笑)本当に良い音の定義は難しい。昨日まで聴いていて良かったはずの音が、翌日にはつまらない音に聞こえる事もあるし、その逆もある。こちらの体調や気分にも依るところも否定出来ない。

 

 更には装置を替えて良くなったと勘違いする御仁もおられる。これなんか装置をグレードアップさせたんだから、当然音が良くなっているはずだと自分で思い込みたいのかも知れない。まあ、こうなると哀れですな。とにかく音楽マニア、オーディオマニアは少しでも「良い音」をと求め続けるが、案外良い音とは自分がその歌なり演奏を聴いて「ああ、良かったなあ」と思える時なのかも知れません。ちょっと良い音の定義から外れているかも知れませんがね。