ChatGPTと言うまるで肝機能の数値みたいな名前のAIが今人気だと言う事をNHKのニュースで知った。こちらが質問なり制作を依頼した内容を自然な言葉で文章にしてくれる人工知能だという。
これを聞いて私は人間は何処までノメシコキになり、何処まで馬鹿になれば気が済むのかと思った。いくらその文を作成するに当たり、考慮時間が勿体ないとは言え、そこで考えるのを止めたら頭を使わなくなってしまうではないか。いくらその分他の事を考えたり研究したりする時間に回せるとしてもだ。第一AIなんかに頼んだら皆同じ様な文になってしまわないかも心配だ。
そもそも文を書く際あれこれ考えるから楽しいし、苦しいし、面白いのだ。それを自ら放棄してどうするのだ。私は馬鹿になりたいと言っているような物ではないか。例えばブログを書く文をひねり出すのが面倒だからと今日は例えば雪解け、ひな祭りをテーマとしてブログを書いてくれないかとなったら、もうお仕舞いだ。AIに頼んだ時点でその人のブログではなくなってしまう。
まあ、まさかそんな事にはならないだろうと思うが人気の有るブログに仕立て上げたいが為、将来はそんな事をする人が出て来ないとも限らない。ワープロが出来、漢字を書けなくなったと言う人の話を良く聞く。これは手で実際に書いてみるという行為をやらなくなったせいである。字は何も頭だけでなく手でも覚えているのだ。それが更に進み文章さえも自分で考え出す事を止めたら、その先は自分で文が書けない人間に成り下がってしまうだろう。
一体こう言う人工知能の発明は科学技術の進歩と果たして言えるのだろうか。人間の機能的には退化させているのに喜んでいいはずがない。それこそSF小説のように将来は何でも判断をAIに委ねるようになってしまうのではないかと危惧する。だから下手でも何でもいから自分で文章を書くようにしないとそれこそAIによって書かれた文は画一的になってしまい読む感動が薄れてしまわないかと思うのは私だけだろうか。
ともあれ、エライ時代になった物だ。こう言う事を果たして便利とよんでいいのかどうか。少なくとも私は便利とは認めない。余計な物を発明してくれたなである。(笑)