すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

落語と立川談志の死

 私の家に来る友人達は皆落語好きだ。車の中でも落語のCDをかけて聴いている。かく言う私も好きで特に聴いた事のない古典落語が聞けた時など嬉しい。そもそも落語は仏教の浄土真宗の節談説教辺りが起源らしい。そこから浪曲だの落語の派生となったらしい。元日蓮宗の僧であった露の五郎兵衛が京の辻々に立ち、笑い話を始めた。これが落語の元祖と言って良いだろう。無論、その噺の中には笑いの内にも人としての戒め、規範などもさりげなく入っていたと思う。さてこうして上方に発生した落語が江戸にも移り、今日まで発展してきているのであるが、古典落語はやはり依然として人気だ。将来にわたって無くなる物ではないし、なくしてはならない物だと思う。
 さて話は突然変わるが先般の立川談志死去の報道の多さに私はびっくりした。無論多くの経歴を持つ方だから、亡くなった時は騒がれても仕方あるまい。だがその後もテレビ各局が色んな番組で取り上げ、名人だの、天才だの、革命児だのと騒ぎ立てるのは如何な物か。昭和の三名人と言われた文楽志ん生圓生がなくなった時、そんなに後々まで騒がれ、取り上げられただろうか?談志の師匠であった小さんが亡くなった時も、彦六が亡くなった時も然りである。芸だけをを取り上げても明らかに談志に勝っている。第一、立川流の流儀たる物は何なんだ?生意気になる事か?私は未だにわからない。彼の得意噺とされる「芝浜」を聴いても臭いんじゃないかと思われる程の身振り、手振り、話し方で私には辟易した。無論、この談志流がいいんだと仰る方もあるだろう。だがこの程度の芸なら出来る噺家はいくらでもいる。彼が今まで色んな分野でさんざんマスコミに登場してきたので知名度が有り、取り上げるマスコミも視聴率が稼げるから取り上げるのだと思う。だがこれによって過去の名人上手が軽視されるのはまっぴらだ。私がその死を惜しんだのは志ん朝である。静かな語り口と落ち着いた雰囲気は江戸落語の質を高める物だった。早逝が惜しまれる。
 ま、何だかんだと言って早く言えば私は談志が嫌いなのだ。あの威張った様な、突っぱった様な態度は好きになれない。(ま、本人はわざとやっているんだろうが、そうしなけりゃ自己主張できないのかねえ。)結局はこの人、目立ちたがり屋だったんだろうね。NHKでやっている「日本の話芸」に登場する噺家さんは目立たなくても上手いですがねえ・・・・それにしてもマスコミの質は相変わらずですな。