すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

道草を食いながら・・・・・(写真豊富)

 今日の朝刊に芝桜が見頃と出ていたので早速その魚沼市根小屋の「花と緑と雪の里」(奥只見レクリェーション都市公園)に行った。堀之内インターを降りるとすぐの所にあるのだが、高速代がもったいないので下道で行く。(ケチ!)会場近くに行くと多くの「芝桜まつり」と書かれた幟(のぼり)が立っていた。入場料がいるのかなと思っていたら案に相違して只だった。(ラッキー!)会場には既に多くの来場者があった。露店や大正琴の野外演奏会などのイベントも行われていた。さて肝心の芝桜だが、まだこの公園が出来て間もないのか、会場一杯に絨毯を敷き詰めたようにはなっていない。少し散漫な感じを受けた。あと5年もすればもっと見応えのある芝桜まつりとなるかも知れない。それと芝桜だけだとやや単調になるので他の花もあっても良かったのでは?と思った。あっという間に見終わってしまったので時間が余ってしまった。会場にあった観光パンフレットを見ると「重要文化財 目黒邸」というのがあったのでそこへ行ってみることにした。

会場に着いた−!

大正琴の演奏会も行われていた

あと5年もすれば芝桜の絨毯となるだろう。越後三山も見える絶好の眺望。

芝桜はいつ見ても綺麗ですね

目黒邸へ向かう途中でお寺の小僧さんのイラストが描かれた看板があり、「永林寺 石川雲蝶作品群」と書いてあった。おお、雲蝶か、これは見なくてはと思い車を永林寺の方角に向ける。雲蝶は「越後のミケランジェロ」(ちょいとオーバー)と称される彫工で越後に多くの作品を残している人だ。お寺に着くと辺りに真新しい石碑や石像があるのが目に付く。

永林寺。正面の二体のタヌキの和尚さんの石像がユーモラスだ。

可愛いお掃除小僧さんの像

こんな石碑が幾つもある。

住職さんはどうやら言葉遊びが好きらしくこんな碑があと2つ程有った。

雲蝶の手形? まさかこんな小さい訳ないな。

石碑や石像はたくさん有ったが目的は雲蝶の作品を見ることだったので早速お寺の中に入る。入り口の所に「入場料 中学生以上300円」と書かれた紙が貼ってあったが中へ入ってみると誰も徴収する人がいない。結果、払わずに出て来た。(ラッキー!)見ると他の観光客の人も払ってないようなので安心した。寺内は一応撮影禁止なので残念ながら雲蝶の作品は紹介できない。永林寺のHPへリンクしておきましたから、そちらを御覧になって下さい。(上の方で永林寺の字の色が変わっているところをクリックすると永林寺のサイトに行けます。)さて雲蝶の作品だがなかなかの力作であったし、これだけまとまった作品群を見ることが出来るのは貴重だ。ただここの住職はなかなかのアイデアマンであり商魂の方もたくましい?ものがあり、色んなお寺グッズや解説書、果てはお菓子まで売っていた。しかも必ずその所々にお賽銭が入れられるように賽銭箱が置いてある。しっかりしてますなー。(笑)当然何も買わずに出てくる。お寺の横へ回ると根小屋城址の案内図があり登山道もあるようなので行ってみることにした。(物好き−!)

根小屋城址案内図

 
道のガード下をくぐったすぐ右の所に登山道はついており、かなり急なのでコンクリートに石を埋め込んで滑らないようにしてある。

登山口

登山道には綺麗なスミレも咲いていた

急登を登り終えると広いところに出た。観音様のお堂がある。どうやらここが薬師堂のようだ。その先を見るとまだ道が続いていたので行ってみた。振り返ると巻機山や越後三山、堀之内の町が見える。かなり歩いたが頂上はまだ先のようだし、暑くなってきたので下りることにした。今度来る時は5月始めか10月頃が良いかも知れない。

薬師堂

 さて大分道草を食ったのでお昼を過ぎてしまった。目黒邸へ向かう途中旧広神村の所にお蕎麦屋さんが有ったので立ち寄ることに。店内はお客さんで一杯だったのでかなりの時間お預けを喰う事に。30分程待ったら漸く出来てきました。でも天麩羅も頼んだとは言え何でこんなに時間が掛るの?たかがざる蕎麦なのに。お味は正直私が打った蕎麦の方が美味かった。これはたぶん蕎麦粉にそんなにいいのを使っていないためだろう。まあ商売だから儲けなくちゃいけないからそんなに高価な蕎麦粉は使えないのだろう、と同情的に解釈しておいた。ともあれ「空腹に不味い物なし」でお腹が減っていたのであんまり不満は無い。腹ごしらえも出来たのでいざ目黒邸へ!
 はい、道草を食いながらやっと着きました。堂々たる構えのお屋敷である。旧越路町の長谷川邸とは比べものにならない偉容である。

やっと着きました。国指定重要文化財「目黒邸」

民俗文化財館入り口で「目黒邸」「目黒邸資料館」「民俗文化財館」共通のチケット(1,500円)を買い入場する。目黒邸は庭も立派で山から流れ出る豊富な雪解け水を屋敷の周りに巡らすという中々凝った趣向だ。目黒家は中世武士の系譜を引く豪農でこの地方(旧守門村)の中庄屋だが大庄屋に匹敵する働きをしている。この目黒家15代徳松氏や16代孝平氏は代議士にもなっている。この目黒家住宅は寛政9年(1,797年)に建てられた物だ。また家の中を見て驚いた事は当主は新しい物好きだったらしく大きい配電盤などがあって相当早くに電気が引かれていた事がわかる。また自動車やカメラ(当然蛇腹式)などもこの地方にあっていち早く使っていたと言うから相当のハイからさんである。屋敷の広さと庭の立派さに感心して次の資料館に向かう。折しも明日は市民茶会との事でこの家の庭に面した広間で行われるらしく準備で大忙しのようだった。

堂々たる構え

庭も見事で池や水路が家の周りに巡らしてある。

庭の上の方は小高い丘になっており、そこから残雪の守門岳が見える。

資料館に入る。最近建てられた物らしくまだ真新しい。私の他には目黒邸と違って誰も入館者がいなかった。立派な資料館で展示してある物はどれも興味を引く物ばかりだった。こちらを見学すれば一層目黒家の事がよくわかるのにと思い、見学者が少ないのには少々がっかりした。

綺麗な建物の目黒邸資料館

水が豊富な所らしくここでも水路を巡らしてあった。

この村にはもう一つの重要文化財の「佐藤家住宅」と言うのもあってこの近くなのだが今迄散々道草を食ってきたつけが回ってきて時間が無くなった。と言う訳で帰りは奮発して高速道路を使う。運転中あー、そう言えば今日は柏崎は「風の陣」だったなと思い出す。地元のイベントには参加しないで他所の観光に一役買っている不埒なすかんぴんでした。
 (このトピックはこれでお終い。読んでくれた方には感謝申し上げます。お疲れさんでした。)