すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

文語調

 町内会報の原稿に「平成26年度町内総会開催さる」と書いて庶務部長に渡したら「開催される」と訂正されていた。う〜ん、今の若い人は「開催さる」なんて文語張った言い方はしないのかな。どうやら誤植と勘違いされたらしい。

 そう言えば最近は新聞でもそういった言い方はされなくなってきているような気がする。何でも口語体風の記述になって読みやすいと言えば読みやすいが、格調、気品といった感じがしてこない。私は結構昔の文体が好きだ。ちょっと大袈裟で格式張った所も有るが文章にロマンがある。大体私は漢語調に弱い。薄田泣菫「白羊宮」の中の「望郷の歌」なんかを口ずさむとそれだけで気分が高揚してくる。難しい言葉がずらずらと出てくるのがまた良い。よっく分らなくてもリズムがある詩だから全然気にならない。いや分らないから何となく格調高く感じるのかも知れない。

 近年は往年の唱歌が文語調だからわざわざ平易な口語調にして歌わせているらしい。例えばベイリイ作曲の「Long Long Ago」(邦題 久しき昔)の訳詞をした近藤朔風の歌詞は文語調で格調高かった。

 語れ愛(め)でし真心
 久しき昔の
 歌え床(ゆか)し調べを
 過ぎし昔の
 汝(なれ)帰り ああ うれし
 永き別れ ああ 夢か
 賞(め)ずる思い変わらず
 久しき今も

それを分りづらいからと言って変えてしまうのは如何なものか。

 伊藤武雄 作詞

 よく訪ねてくれたね よくまあ ねえ君
 よく訪ねてくれたね さあさあ かけたまえ
 今日までの出来事を みな話そう お互いに
 よく訪ねてくれたね まあまあ かけたまえ

私が見た歌詞は「久し振りに良く来たね」の歌い出しだった。
現代語は確かに分りやすいがそれだけに重みに欠ける。子供時代は歌の意味はハッキリと分らなくても何となく程度でいいのではないか。ある程度成長すれば歌の意味は分ってくるし反ってその時その歌の有難味が分る?

 唱歌「ふるさと」が文語調だからと言って現代語の歌詞にはしないだろう。例え「かの山のウサギは美味しい」と子供時代は勘違いしてもだ。まあこんな事をだらだらと書いているのは年寄りジジイの単なるノスタルジーなのかもしれないが、最近の若い人が余りに言葉を知らないのものなので、つい。それにしても「明治は遠くなりにけり」ですね。