小学校の後援会の懇親会で若い先生方と一緒に飲むことになった。話しているうちに方言のことに話題が移ったが、驚いたことに地元柏崎の出身なのに全然柏崎の方言を知らないのだ。まあ別に知らなくたって構わないのだが、そこはそれ柏崎方言の研究者?である私にとっては由々しき事態である。で酔った勢いもあってよせばいいのに臨時柏崎方言特別講師になってしまった。
「アトサンジョッパライ」「バラコクテー」「ズラス」「イボヲツル」「戸をタテル」「お静かに」等々・・・・・。若い先生方にはエライ迷惑な親父だったでしょうな。でもテレビの影響でくだらない流行語や汚い言い方を覚えても懐かしい地元の方言が失われて行くのは寂しい気がする。中には由緒正しい古語もある。
方言が失われて行くのは先に言ったテレビの影響と核家族化が原因と思われるが、老人大国になっていながら方言が正しく伝わっていないのは、老人と若者の世界が隔絶しているからであろう。老人は介護施設などで一緒くたにされてはいけないのである。歳を取れば取るほど若い人と交流する必要があるのだ。それも呆け防止に一役買うと思う。姥捨て山みたいに老人介護施設が増えるのを憂うものである。汚いものはゴミ箱にみたいな感覚で介護施設に入れるのはひょっとして自らが楽をしたいというエゴではないのか?
先日92歳で亡くなった友人のFさんのご母堂は晩年オレを施設には入れないでくれとFさんに頼んだそうである。さもありなん。誰が好きな家族の元を離れて施設で暮らして楽しいものか。Fさんは最後まで母を面倒見た。立派だった。大変だったと思うが、その代わり悔いはなかったと思う。その面倒をする様を見ればこそ彼の子供達はその背中から教えを受けるのだ。
方言の話からとんだ脇道にそれたが、失われ行くものはどうやら方言だけでは無いようだ。