すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

執着心

今では殆どやらなくなった私の趣味に囲碁と将棋がある。囲碁の方はまるっきりの超初心者と言ったところだが将棋はそこそこ一所懸命にやっていた。だから道具はそこそこのものを持っている。(囲碁も)問題はあれほど熱くなっていた将棋を何故やめたかだ。
 1.仕事が忙しくなった。
 2.相手がこちらの忙しいのに遠慮して来なくなった。将棋は一人では出来ないか
  ら相手がいないとやらなくなる。それでも父と囲碁、将棋ワンセットで私の時間
  が空いた時などよくやっていたが、相手がいつも同じだから飽きてきた。
 3.あまり上達しなくなった。なんでも初心者のころが一番面白いもので、
  ある程度上達してそれから伸びなくなると飽きる。
 4.年齢と共に勝負に対する執念が薄れてきた。

上記4つの理由のうち特に当てはまるのが4である。これは実力と比例する。つまり勝てなくなってくるとなおさら勝負に対する執着心がなくなって来る。ランニングも同じで体力が衰えだし、思ったような記録が出せなかったり、以前は勝っていたランナーにあっさりと抜かれたりする。執着心があれば負けたことに対する悔しさが発奮材料となり練習に打ち込むのだが、歳をとってくるとどうもその執着心が薄れてゆくのだ。故に歳をとるにつれてあれほど好きだった勝負事から段々と興味が薄らいできたのだ。だから今現在は山登りだとか音楽鑑賞だとかお絵描き、読書と言った趣味が中心となっているのである。ただこれはある意味で一抹の寂しさを感じる。それは負けたことに対する悔しさが旺盛なのは若いことの証明だからである。無論、年配の方にも若い方達と同様に勝負に対する執着心の衰えてない方も多勢おられるだろう。プロの方たちならなおさらであろう。ただプロの方達でもやはり勝負事の世界は若い人中心なのである。それは命を削り取るような激しい勝負の場に於いて勝つことに対する執着を最後まで捨てない気力は若い人でないと長く続かないからである。(体力の面も含めて)だから私は呆れるほど勝負に執着したあの頃が懐かしいのである。今の趣味とどちらが好きかという問題なのではない。一つのことに熱くなれた若さが恋しいのである。また熱くなるというのは上達の秘訣だ。それ故にお年を召した方で或ることに熱中されているのを見ると「アア、偉いなー」と思い、我が身に置き換えてみてハラハラと落涙する。イヤ、それはちょいとオーバーだが、ともかくこの執着心が丸っきり無くなったら聖人と同じだ。そうなったら潔くこの世とおさらばする時だと思っている。