すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

タバコ

 新潟日報を読んでいたらタバコの事を書いたコラムがあった。中々面白かったのでつい最後まで読んでしまった。それによると筆者は学生時代別にタバコが好きだった訳ではないが、体に悪い、法律違反と知りつつも背徳の誘惑に駆られて吸ってしまい習慣化したんだそうな。これはある意味よく分かる。何か隠れてすることに堪らない魅力があるのも事実だ。かく言う私も授業をサボり友達の下宿先で一服やった事がある。だがそれが習慣化しなかったのは何故だろうと考える。私は煙草を初めて吸った時でも違和感なく吸えた。全然むせなかったから煙草飲みの素質があったのかも知れない。それなのにその後吸わなかったのは、健康に良くないから吸わない方が良いと考えていたのだろう。別に煙草が旨いとも思わなかったのである。同級生の中には学生時代からピースを吸っているのもいて、彼は日常化していた。しかし彼を私は不良だとも法律違反をしているなどとはちっとも思わなかった。案外食煙草飲みに近い気持ちがあったのかも知れない。

 歳月は流れ私はマラソンをするようになった。当然市民ランナーとしては煙草は吸わないでいて良かったと思う。また昔吸っていた人もランを始めてからは吸わなくなった人は少なくない。だが一方今でも吸い続けるランナーにあるまじき人もいる。(笑)私はこういう人は大好きである。他人が吸っていても私は全然気にならない。副流煙を吸って健康を害されるなんて考えた事も無い。幼少時にもっとスゴイ環境にいたからである。だから以前の家では友達が集まると忽ち紫煙が立ち上り、見る間に灰皿が山となった。今の家では白壁が黄色くなっても困るので禁煙にしてヘビースモーカーの連中は戸外で吸って貰う事にしている。これはこれから寒くなるので少し気の毒だなと思うが左官屋さんから厳命されているから止むを得ぬ。
 ちょっと話が脱線したが、だから私は今喫煙者が冷遇されているのが可哀想なのだ。会社でも家でも喫煙者は迷惑がられ身の置き所が無い。更に公共の場なら尚更である。かつては堂々と吸えた煙草が今では狭い一室に閉じ込められ、人目を憚るように吸っている。何と憐れな人種だろう。

 かつては煙草を吸っているとカッコイイと思われた事があった。渋い俳優が煙草を吸っているシーンなどは絵になった。ジャズレコードでも煙草を吸っているジャズメンの粋なジャケットもある。煙草が市民権を得ていたのである。余談だが煙草を吸わないと困る事がある。それは飲み屋さんへ行った時だとか宴会の場かなんかである。煙草を吸わないと間が持てないのだ。煙草を吸っていると大体酒は注がない。注いだにしろ、余り無理強いして飲ませない。私は煙草を吸わないからつい酒量が上がってしまう。で、二日酔いとなる。(笑)
 もう少し「喫煙者に愛の手を」と思うのは私だけだろうか?今後は文学からも街のちょっとした光景からも映画のワンシーンからも煙草を吸う場面が無くなると思うと寂しい。煙草は歴史であり文化だったのである。確かに健康や防火と言った点からは悪いかも知れないが、その時々に於いて人の心を落ち着かせる何かを煙草は持っていたと信じたい。
(オオ素晴らしい!パチパチパチ!これ喫煙者共よ、拍手せい!)