すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

テレビが入った日

 最近は若者のテレビ離れが進んでいるという。然もありなん。娯楽が多様化し、今や若者の関心はスマホなどのネットを中心とした媒体に向かっているからだ。このような状況なのでNHKを初めとしてテレビ各局はこの春の大幅な番組改編を目指しているという。

 

 まあ今更若者向けの番組を作ったとて、若者がテレビに戻ってくるとは思えないが、さりとて何とかテレビに戻ってきて貰わないと放送する立場としては利益にも関係してくるから何とかせざるを得ないのだろう。だが若者に迎合する余り、テレビ世代と言える我々老人世代を顧みないような番組作りだけは避けて欲しいものだ。

 

 さて我々がほんの子供の頃はメディアと言えば新聞、雑誌かラジオくらいのものだった。そこへテレビが登場してきた時は非常な驚きだった。確か当時小学1年生か2年生くらいだったと思う。当時テレビを買える人はかなりの高給取りか、商売をやっていて羽振りのいいお店くらいだったと思う。

 

 ウチの近所でもテレビを持ってる家は1,2軒で内1軒はサラリーマンのお医者さんだったからテレビを見せてくれるような家では無かった。一方もう1軒はお豆腐屋さんをやっていて、こちらは店のやや奥まったところにテレビが置いてあった。そして頼まれれば近所の人にテレビを見せてあげていた。

 

 我々子供だけで無く、大人達でさえあの四角い画面の中で人が動いてる様を見るのは驚異で有った.無論当時は既に映画は有ったのだから、あの映画の画面がテレビ画面に凝縮されたと考えればいいのだろうが、リアルタイムで映像が流れてくると言うのが新鮮だった。このため大相撲や当時流行し始めていたプロレスリングなどは大いに人気が有った。

 

 殊更大相撲は当時は民放もやっていたから大人気だった。だが大方の者はNHKの方を見る。それは民放はCMがテロップで画面に流れるから目障りだったのだ。テレビなら国技館に見に行かなくとも今現在行われている取り組みを見る事が出来る。ラジオと違って勝負の推移が実況のアナウンサーを介さなくとも分かるのだ。だから大人も熱中してみていたのだ。

 

 そしてテレビ見たさに夕刻5時を過ぎる頃、子供達はテレビの有る例のお豆腐屋さんに行って「テレビ見せてくださーい」と大声で叫び、堂々と見るのだった。今から思えば随分恥ずかしい事をしているなと思うが、テレビ見たさの方が強く当時はそんな羞恥心など何処吹く風だった。大人でさえ見に来ていたからで有る。

 

 見せてあげるお店の方でもテレビを持っているといういくらかの虚栄心が作用しているのだろう。叱りもせず、断りもせず見せてくれたのは子供心にも有難かった。やがて高度経済成長の走りになると各家庭もテレビを入れるようになる。特に1964年の東京オリンピックころになるとあっという間にテレビが普及し始めた。

 

 私も友達のK君の家でやたらとテレビを見せて貰っていた。近所だったので気安く行き来していた。ウチは裕福なまた文化的なK君のお家のお陰でどれ程知識を広げたり、また遊ぶ事が出来たか、その点は大いに感謝している次第で有る。(笑)何せ玩具にしても学習事典にしても、電化製品、オーディオ製品でも何でもあるので私はそれらを見せて貰ったり、実演して貰ったりして大いに満足して我が家で買えなくともちっとも羨ましくなかった。

 

 しかしテレビは別だった。テレビは何としても自分たちの好きな時間に好きな番組を見たかったのである。当時はビデオデッキなどまだ無い時代だから、録画など出来よう筈も無く、リアルタイムでその番組を見るしか無かった。そして東京オリンピックがくると言うと矢も楯も堪らなかった。私は毎日のように父に頼み込み、首尾良くテレビを入れる事に成功した。

 

 当時ボロ長屋に住んでいて何がテレビだと言うような生活だったから、私は子供心にも父に無理をさせてしまったなと後悔した。だが父は子供達の喜ぶ笑顔が見たかったのだろうし、自身も見たかったのだろう。確かテレビが入ったのは小学3年生の時、オリンピックの3年前だった。

 

 最初にテレビが登場した時はブラウン管が14インチサイズの者が主流だったが、この頃から16インチが主流となる。テレビは4本の長い足を持ったテレビ台の上に乗っており、画面を覆う編み込みの布が付けられていた。放送は今のようにチャンネル数は多くなく、我が新潟県はNHK、NHK教育、民放のBSNのみで、放送時間も24時間流しっぱなしでは無く、夕刻5時頃から午前0時頃まで。そして朝は確か7時頃から午後3時頃までの放送で有ったように思う。

 

 だから閑さえあればテレビを見ていた。我々の世代はまさしくテレビ世代だったのである。今は地デジ、BS、CSと有り、しかもチャンネル数も格段に多い。選択に困るくらいだ。にもかかわらずテレビ離れが進んでいるとはどういう事なのか。

 

 恐らく今のスマホが当時のテレビなのだと思う。テレビの普及により、映画産業は廃れ、ラジオも聴取者は激減した。情報を得る媒体が今やテレビでは無くネットに移ったと言う事なのだろう。だがこれも時代の流れ。しょうがないか。だが私はあの頃が妙に懐かしい。なにか国民がテレビを見てウキウキしていて活気が有ったように思う。そしてテレビが家に入った時の感動は今でも鮮明に覚えている。今若者達がスマホを操っているのを見てもそんな感じがしないのは何故だろうか。

 

 閑さえあればどこでもスマホをいじっている。電車に乗ればすぐさまスマホを取り出す。歩いていてさえもスマホ画面を見ている。他人と会話を拒んでいるようにさえ感じられる。テレビ時代も「テレビっ子」と呼ばれる子供はいた。でもそれはほんの一部だった。今は皆がスマホに操られているようで少し気味が悪いと感じるのは老い先短いジジイだけの思いでしょうか。(笑)