すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

長く使える製品

 電化製品など新しい製品は一体長く使える物だろうか。部品の保有年数が8年くらいだから、精々持って10年くらいしか使えない。壊れたその部品だけが無いから廃棄して新しい物を買わなければならない。まさに使い捨てで有る。

 

 確かに電気代は掛からなくなってきているが、私達みたいな昔者は使える物を捨てる事に抵抗が有るのです。況してや長く使って来て愛着が有る物を手放す気には中々なれない。

 

 この間ターさんと各企業間で部品の共通化出来る物は共通化し、モデルが変わっても大幅に変えないで良い所は以前の部品でも使えるようにしたら長く使えていいのではないかという話になった。

 

 しかし製品が長寿命化すれば企業は儲からなくなるからそんな事は間違ってもすまい。でも使う側からすれば買った品物が長く使えれば、その分懐に余裕が出来るから、他の物を買うという選択肢が出来るから、決して儲からなくは無いと思うんだけどなあ。(我田引水か?)

 

 例えば私の趣味のオーディオを例に取ると、最近のスピーカーのエッジは大体ウレタンエッジかゴムロールエッジで有る。これだと使用頻度にもよるが大体10年持たずしてボロボロになる。所が私が使っているスピーカーはみな紙エッジか布エッジなため40年くらい経っていても平気で使用可能だ。

 

 無論最初の時から比べれば多少劣化はしていても再生出来ないなんて事は無い。真に貧乏人にとっては有り難い。所がメーカーは性能を追うあまりか、エッジが駄目になれば交換して使えば良いし、その方が性能を維持出来るからいいのだと言う考えなのだと思う。

 

 しかし残念ながら最初に書いたとおり部分保有年数は8年なのだ。必ず修理可能では無い。こうなるとエッジをメーカー部品で無くとも良いから直してくれる所に修理に出す事になる。まあ、オリジナルに拘らなければそれでいいかも知れないが、エッジがそもそも長寿命なら何もそんな心配をする必要は無いのだ。

 

 科学が発展して便利になったはずが実はちっとも便利になっていない。いや、それどころか反って不便になったような気がする。昔は街の修理屋さんが直してくれた物が部品などが電子化した事によって手が出せなくなった物が多い。メーカーに送って部品交換で有る。有ればまだいいが、無ければお仕舞いで有る。つまり今の製品はブラックボックス化してきているので有る。おまけに部品代を含めた修理代がバカ高くなってきているんだよねえ。直らなくとも出張費はしっかり取るし。(笑)

 

 ある程度の技術を持った街の修理屋さんが直してくれた時代が懐かしい。そうして皆長くその製品を使っていた。英国なんか高くとも孫子の代までも使えるような製品作りをしている。例えばデッカのカートリッジなんかかなり昔の製品でも送れば今でも修理してくれるという。これはその企業が自社の製品に誇りと自信を持っている事の証だと思う。長く使えてこそ愛着も湧くし、真にその人の物となるのではないか。日本企業もそろそろ製品作りの方向転換を図っても良いのでは無いかと思った次第で有る。