すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

雪のやり場

 また雪のネタで恐縮だが、高齢者世帯の除雪支援をして気づいたことがある。それは最近の家屋は雪の捨て場を考慮に入れないで建てている家が多いと言うことだ。

 うちの団地の造成は昭和46年と古く、幹線道路は6m、枝道で4mの幅員で道路幅が狭い。このため豪雪ともなると4m道路は除雪困難となる。実際私がこの団地に超してきてから、何度もそんな光景にお目にかかったことがある。にもかかわらず、もうこの団地も古いのでたいていの家が建て直ししているが、どうも雪のやり場のことは考えて建てていないようだ。それが証拠にガレージは道にぴったり沿うように作られているし、庭に凝るのは結構だが、植木が所狭しと植えられていたり、庭石があちこちに配置してあったりして、大雪の時はどうするのかと思わず心配してしまうほどだ。しかも家は大きく隣家との境は余裕が無い。

 ガレージを道路ぎりぎりまで前に出すのは、積雪時に少しでも雪堀をしたくないことの表れなんだろうが、逆ににガレージ前に大量の雪を除雪車においてゆかれた場合はどうするのか?結局また道に出すしか無くなる。これでは何のために除雪車が来たのか分からない。先程の4m道路ともなるとどうしようもない。あちこちに雪を押しつけるだけだ。

 38豪雪の時などは雪のやり場が無く、空いた僅かな場所に争って雪をを積み上げるように捨てた記憶がある。だが雪がお互いの屋敷に入ったりして喧嘩になることもしょっちゅうだった。だから年配の人たちはそれを経験して知っているはずなのに、どうしてこのように雪のやり場の無い建て方にするのだろう?

 春になれば消えてしまうし、最近は地球温暖化で以前のようには降らないから、雪の苦労は一時的と考えているのだろうか。だがよく考えてほしい。高齢者だけの世帯が年々増えているので、必然的に除雪支援をしなくてはならない世帯が増えてきている。だがしてやりたくても雪のやり場の無い家では、満足に出来ないことになる。

 豪雪地帯に住む昔の人は必ず雪のやり場のことを考えて建てたと思うが、最近ではそんなことは露程も考えられていないようだ。だが地球温暖化だから降らないだろうと、自然をなめていると必ず手痛いしっぺ返しに遭うに違いない。あの東北大震災の際の大津波を軽視していたから、あの原発事故が起きたのだ。地球に暮らす者は自然を恐れ、敬い、謙虚であらねばならないと言うことを痛感したはずだ。

 除雪機が出回り、昔と比べてずいぶん除雪が楽になった。だが雪のやり場が無ければ同じこと。雪国の皆さん、もう一度家の建て方をよく考えてみませんか?

み、道が狭〜い!