すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

最高裁判所裁判官国民審査

 この間マーさんが遊びに来て言う事には、

「あの最高裁判所裁判官の国民審査っておかしいよな。だって何も書かないで投票すると信任しちゃうって事になるんだから。しかも俺たちはあの裁判官達についてほとんど何も知らないんだから。それをあの紙切れ一枚の公報で判断せよとはどう考えてもおかしい」

と珍しく正論をぶった。

 

 まさしくその通りで、大体総選挙の時にこの裁判官の国民審査をやるのもおかしい。総選挙は不定期に有る物だから、3年に一度行われる参議院の時に審判を仰ぐ方が良いのではないだろうか。その方が前もって公報でより詳しく頻繁に裁判官の経歴や携わった事件判決の事などを詳しく伝えられるのではないかと思う。

 

 大体がマスコミはこの裁判官審査の事を全然と言ってニュースやワイドショーなどで取り上げないし、そもそもこの国民審査自体が余り意味がないのではないか。裁判官は我々が任命した訳でもないし、自らが立候補して最高裁判官の判事になった訳ではない。

 

 更に今度の国民審査に当たって前もって国会議員のように自ら広報活動を行っているでもない。「私は今度の国民審査に通りたいと思っているので皆様宜しくお願いします」なんて話は聞いた事がない。それはこの国民審査が何も書かないで投票すれば信任される仕組みになっているからだ。

 

 これもおかしな話だ。大抵の人は公報に書いてある事くらいでは判断出来ないからそのまま何も書かずに投票しているに過ぎない。だから白票なら一般選挙と同じように無効票として扱うべきなのだ。信任して欲しければ○×方式にして○を付けて貰えば良いのだ。

 

 裁判官が国会議員のように自らPRしないのは信任されると分かっているからである。公報を見ると最高裁裁判官に就任して日が浅いため主要な判例が無いと書かれている人も少なくない。ならば何を持って国民に判断せよというのか。最高裁での判例が無ければ高等裁判所判例でも載せてしかるべきであろう。

 

 このように最高裁裁判官の国民審査とは形ばかりの物に成り下がっている。いい加減もっとしっかりと国民が審査すべき形にする必要があるのではないかと考える次第である。おお、今日はオイラのブログとしては珍しくまともな意見を述べたわい。すかんぴんはこのようにしていつも天下国家の行く末を案じているのですぞ。(嘘つけ!)