すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

取材するなら少しは勉強してきて

 我が家の家の外壁に「Jazz・Audio Spot 『Holiday』」の看板を掲げているので、たまに思わぬ人が訪ねて来ることが有る。地元紙、新潟日報の記者さんからも2,3年前に取材を申し込まれたことが有る。しかし、その時は以前も蓄音器コンサートで夕刊に載ったことが有るのでと言う理由で丁重にお断りした。

 

 まあ私として何度も同じ人間が紙面に登場しなくても良かろうという思いが有ったし、売名行為をやっているようにも受け取られても困るのでと言う考えも有った。しかし、本当の理由は取材する人があまり取材事項を勉強してこなくて色々質問するのが嫌だったので有る。

 

 例えば最初に発する質問は決まってこうだ。

「このCDの時代にどうしてLPをお聴きになっているんですか?」

と言う物だ。更には

「どうしてジャズを聴き始めたんですか?」だ。

まあこう言う質問をするのが悪いという訳では無いのだが、ここから始めると肝心の所を言わないうちに時間切れとなってしまうことが多いのだ。

 

 上記の質問には悪いが他で散々訊かれているので、こちらは辟易しているのだ。質問する前にまず自ら同じ音源のCDとLPをそれ相当のオーディオ装置で聴いてから来て戴きたい。またジャズも自分が聴かないならばせめて何枚か聴いてから取材に来るのが常識だろう。それを記事の埋め草にいい材料が有ったとばかり、ただの思いつきで取材されては堪らない。

 

 嘗てNHKの朝のラジオ番組で某アナウンサーが各界の有名人に取材する番組が有ったが、そのアナウンサーは例えば相手が作家ならその作家の作品を何冊も読み、事前に相手のことを十分に調べて対談をしていた。そしてそのため対談の内容が大変濃く、私は甚く気に入っていたもので有る。

 

 取材するならこうあって欲しいものだ。その場の思いつきで質問し、一丁上がりではこちらの思いが十分紙面に伝わらないではないか。まあ、何でもそうで、例えば「パソコン教室を開いて欲しい」と言う方が有ったので、こちらは一所懸命テキストを作ったり、習う人を数名集めたりして開設したのだが、肝心の教えて欲しいと言った人がそれほど熱心に習わないので有る。覚える気のない人がいると教室の士気は下がる。先生が幾ら一所懸命でも習う側にその気が無ければ何のこっちゃである。結局程なくして私は教室を打ち切った。

 

 私の言いたいのは果たして私への取材が本当に記事として面白いと思ったのか、また読者の関心を集めるに値する物だったのか、それとも記者の記事を集めるというノルマが達成出来ればそれで良かったのかと言うことで有る。少々意地悪をしすぎたかなと言う思いが今では有るが、取材事項に関して勉強することは記者の最低限のモラルで有ろうという考えは今も変わらない。ひねくれジジイの性分は何年経っても変わりませんな。(笑)